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日常の些事。

成長痛のような

先週の金曜日から今週の月曜日まで関西に行ってきた。

 

この記事は、旅行記、ではなく。

 

関西の旅から戻ってきて、自分の中の何かが変わっていくような感覚に今なっている。

 

主に職業面だけど、それ以外の、内面的な部分においても。それは、4日間で出会った人との会話や、旅の始めに読み始めた凄まじい内容の本などからの影響なのかもしれない。

 

なんとなく、何かが掴めそうな、ぼやけていたものがイメージ出来そうな、少し何かが見えそうな、そんな感覚。

 

届きそうで届かない、見えそうで見えない、ハッキリしそうでハッキリしないこのもどかしさは、なんでもすぐに答えを欲しがる私には心地良くはない。所々で嫌な気分にもなっている。でも、あと少し、それがどのくらい少しなのか分からないけど、あと少しこの状態を耐えれば、何かが得られそうな、不確かな期待がある。

 

どこで聞いたのか何で見たのかどうしても思い出せないのだけれど、嫌な思いをした時のことの方が、後から自分を成長させてくれてると、振り返るとそう思う、という会話を、最近思い出す。

 

(そして今この文章を書きながら、あ、好きなドラマのあのシーンだ、と思い出した。スッキリ。)

 

今のこの、心地良くない気分や感情は、成長のための痛みなのかなと、なんとなく思う。