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鍼灸マッサージ師を目指すアラサー学生のブログ。

自分に合ったノートの取り方を見つけた話③〜私はノートに何を求めているのか〜

前回のブログを書いてみて、自分がなぜノートを書いてきたのかがスッキリ整理されたので、ここで一旦まとめてみる。

 

  1. 機序や流れを自分で整理しながら書いて理解するため(その途中で理解できてないところを明らかにして理解するため)
  2. 反復して見返すことで記憶を増強するため
  3. 反復して考えて書いて記憶を増強するため

 

私が普段「勉強している!」と思いながら書いていたノートは主に1の「流れを書きながら全体を理解する」ためのものだった。一生懸命調べて沢山書きながらもイマイチ身についた感じが少なかったのは、そこに2の「見返す」行動が入っていなかったためだと気付いた。

 

反復して何度も目にしたり考えないと記憶は定着しないし、色々なことが自分の頭の中で「常識」になるまで落とし込めない。例えば心臓が4つの部屋に分かれていることも、足三里が前脛骨筋の上にあることも、1回聞けば「知ること」はできるが、もう何十回も何百回も思い起こしたことがあるから自分の中で「揺るぎない常識」になっているのであって、その位頻繁に知識に触れなければ「覚えること」はできないのだと思う。

 

しかし私が一生懸命書いたノートは前回の記事にも書いた通り自分でも読むのが面倒くさい代物で、見返すには殆ど役に立たず、書いて終わりになりがちなのだった。

 

見返すのに不便なノートは試験前にも役に立たない。これは1年生の前期試験の直前に痛感したことで、試験直前に最終確認で見返せるようなツールを私は何も持っていなかった。周りのクラスメイトはみんな何か、ノートとかiPadとか熱心に見返していて、その様子を見て一人焦った。試験前にポイントだけ見返すのは大事だし、精神的にも落ち着く。私は、落ち着かなかった。幸いにもいくつかの教科はできるクラスメイトがそのようなツールを作ってくれていたのでそれを見て気持ちを落ち着けたりした。

 

機序を丁寧に理解するのは大事だけれど、普段見返すにも試験直前にポイントを再確認するにも役に立たないノートの取り方はどうにかしなければと思った。そしてそれは、自分は1冊の同じノートではできないと思った。役割が違うノートは分けた方が自分には合いそうだと思った。

 

次回から、ここまでの気づきを踏まえて2年生から取り始めたノートの話を書く。

 

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最後に、冒頭に何の説明もなく突然登場した3の「反復して考えて書いて記憶を増強するため」のノートについて少し。これは別になんの工夫もなくて、ただ練習問題をひたすら解くためのノートである。綺麗に書くことは目的とせず教科もごちゃ混ぜ。とにかく問題を解いて、できてなかったら解説やポイントをざっと自分で書いてみる。図も適当(絵が下手だから綺麗に描こうとしても時間が無駄)。大体似たような問題で間違えるので、同じことを何度も書く羽目になって、書いてるうちに大体わかってくるのだった。

 

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ただこの時も、パッと見返すのに使えるノートが欲しいなぁと常々思っていて、見返すためのノートを作った2年生からは、このひたすら練習問題を解くノートもより活かせるようになった気がする。

 

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つづく。

 

 

自分に合ったノートの取り方を見つけた話②〜なぜノートを取るのか〜

前回の記事を書いていて、ふと気づいたことがある。

 

「私ってなんでノート取ってたんだっけ…!?」

 

今更っ!!!と思われるだろうけど、ブログを書くために1年生の時に書いたノートを見返していて、悲しきかな素直にそう思ってしまった…

 

言葉にするとあまりに悲惨(?)で呆れるけど薄々そういう感覚が自分の中にあったから2年生になってノートの取り方を変えていったんだと思う。「そういう感覚」とは、ズバリ「自分が書いたノートがあんまり勉強に役立っていない」というこれまた悲しい事実…

 

では何故自分のノートが勉強の役に立ってないと感じたのか?今回は勇気を出してそこを言語化してみよう!

 

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何のためにノートを取るのか?

 

まず、何のために自分はノートを取ろうと思うのか?を思い起こしたい。

 

  • 聞いたことや読んだことを覚えたい
  • 書くことで記憶に定着しそう
  • 忘れた時に見返して思い出したい
  • 試験の直前にポイントだけサッと見返したい

 

ざっと挙げると、覚えるため・思い出すためというところ。

 

では、これまで自分が書いたノートを上記の目的のために役立てていたかというと返事に窮する。なぜなら、振り返ってみると自分が書いたノートをあまり見返していなかったからだ。なぜ見返さないのかと問われると、あまりに情報が多過ぎて1つのことを確認したいだけなのに、目に入ってくる文字が多過ぎて読むのが面倒くさくなるからなのだった。

 

試しに1ページ見てみよう。

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ポイントだけまとめて、後で見た時パッと要点だけ掴みたいという気持ちとは裏腹に情報がぎゅうぎゅう詰めである。しかもデジタルの利点である画像のコピペができるという機能が裏目に出て、参考書の参照ページが大量に貼られているページもあったりする(著作権とかよく分からないのでノートの写真貼るのは自粛。想像してください、参考書の説明ページの画像が大量に貼られたノートを…)。

 

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思考過程をまとめた過程には意味がある

 

ここまで書くと何とも無駄なことに時間を費やした感が漂うけれど、ノートを書いたことに全く意味がなかったというとそういうわけではないので弁解したい(誰に?)。

 

私は頭の中だけで物事を整理するのが苦手なので、ノートにまとめながら学んだことの流れを書いていくとかなり思考が整理されて授業の理解が進む。また、自分で作用や機序をまとめ直していく過程で「これって何でこういう結果になるんだ?」と自分が分かっていない部分が明確になって、それを調べて追記することで更に理解が進む。理解が進めば覚えることも単純な暗記じゃなくなるから無駄ではないと思う。

 

流れを理解する過程において「ノートを書く行為」は無駄ではなかった。ノートは、私の思考過程が時系列で書かれたものなのだ。

 

しかし、それを見返すかというと話は別で、理由は上に書いた通り、大量に書かれた思考過程全部を改めて読み返すのが自分でも面倒くさいのだった。

 

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何なら見返すのか?

 

ノートを書きながら理解を進めることと、見返して記憶を増強することは別物だと気付いた私。要するに思考するためのノートと物を覚えるためのノートは別なのだ。前者はすでに実践済み。後者は無い…。でもこれまで全く何も見返さず勉強してきたわけじゃないはずだ。その証拠に、自分のノートは見返してなくてもそこそこ色々覚えている。

 

じゃあ一体どうやって…

 

振り返ると、日頃から色々見返していた。例えば、

 

  • 学校の先生が作ったプリント(中医・総論・病理学・運動器解剖学・臨床推論)
  • かずひろ先生の有料note(@goukakuouenman ※Twitter)
  •  TCMAの公開講座で写したスライド(@TCMAsemi ※Twitter
  • 自分で穴埋めした要穴表
  • 自分でまとめた神経と筋の一覧
  • YaMaTo先生からもらった経絡経穴のスライド(@YaMato39830334 ※Twitter
  • 経絡経穴概論『東臨』の要点と総括(本)
  • 生理学インパクト(本)

 

殆ど先生たちが作ったものと書籍!!!要穴表も学校の先生が作ったものだから、自分でまとめたものが神経と筋の一覧しかない!

 

しかしこれらの資料は日々すぐ開けるようにしていて、

  • 授業中に分からなくなった時
  • ちょっと確認したくなった時
  • 問題解いてて気になった時

なんかにサッと開いて知りたいことを確認するのに使っていたのだった。

 

無論、これらの資料は要点が参照しやすくまとまっていて、パッと見返した時にその時必要なことだけが目に入ってくる。

 

頻繁に参照しているからどこに何が書いてあるかもすぐ分かるし、結構よく覚えていると思う。むしろ今持ってる知識は全部これらからインストールしたものなんじゃないかというくらい多分これらばかり見ている…(先生方ありがとうございます、私の学生生活は先生方に支えられています…)

 

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よし、これで十分、思考の整理は自分でノート書いて、記憶の増強は本やプロの先生方が作ったプリント使えばOK!

 

…ところがそうはいかなくなってきたのが2年生になってからなのだった。

 

先生方の資料や書籍が原因ではなく、覚えることが増え過ぎて色々な資料をまたいで参照する必要が出てきて、それがだんだん煩雑になってきたため、やり方を変えないと勉強しづらくなってきた。

 

なかなか終わらないノートの模索…。

 

つづく。

自分に合ったノートの取り方を見つけた話①〜ノート迷走期編〜

私のブログを読んでくださっている方は、勉強する時何でノートを取っているだろうか?

 

私は、専門学校に入学してからiPadのノートアプリ(good notes5)でノートを取っていた。

 

入学したての頃は、紙の教科書とgood notesを併用していた。高校生の頃のように、ノートと教科書が机の上に並んでいるイメージで、紙のノートがデジタルになっただけである。この時は、教科書にメモを取ったりiPadにメモを取ったりして情報が散らばり、放課後iPadにノートをまとめ直す、というような感じだった。

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そのうち教科書もPDFにしようという動きがクラス内で広がり、教科書もiPadに内蔵された。机の上にはiPadだけが置かれるようになった。この時は、Split Viewで画面を二分割して、画面の左に教科書、右にノートという感じで授業を聞いていた。相変わらず、教科書にメモしたりiPadにメモしたりして情報は散らばっていた。放課後にノートをまとめ直すのも変わらず。iPad1台に集約されて見た目はスッキリしたものの、私のiPadは一番安いモデル(無印iPad)で画面が小さく、Split Viewにすると教科書もノートも小さくて見づらいな、と思うようになった。

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見づらさを感じてからは、Split Viewを使うのをやめた。教科書とノートをそれぞれ1画面に開いてアプリ内のタブで行き来しながら授業を聞くようになった。これはこれでよかったけれど、教科によっては他の参考書も開いたり、先生が作ったスライドのPDFを参照したりしてタブの行き来が面倒になってきた。教科書を見ながらノートを取りたい時も不便だった。

 

1年生が終わる頃、勉強しづらいのは画面が小さいせいだと思うようになった。自分の勉強の仕方が悪いと思わない辺り責任転嫁も良い所であるが、ともかくそう思った。大きな画面のiPadに買い替える代わりに、iPad miniを買った。iPad miniを買ったのは、通学時にA4サイズのiPadを広げるのが不便だったことや、ちょっと出かける時に読書用に持っていくには大き過ぎたことなど色々理由があるけれど、それはともかく、授業の時は画面を2台に分けて1台を教科書、もう1台をノートにしようと思った。

 

2年生になって、デジタル化された教科書と、デジタル化されたノートが机に並んだ。全てがアナログだった高校時代や、ノートだけデジタル化されていた1年前期の頃と変わり映えしない光景に逆戻りした。iPadという最新機器を使いながら、進化しているのか退化しているのか自分でも分からない日々が始まった。

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つづく

【参加レポート】在宅鍼灸師ジェネラリストコース①姿勢評価

9月最初の金曜日から、HAMTプロジェクトが主催する在宅鍼灸師ジェネラリストコースというセミナーに参加している。

 

hamt-project.com

 

内容は、講師のてっちゃんサンこと、PTであり鍼灸あん摩マッサージ指圧師である白石哲也先生から、3ヶ月かけて機能解剖の基礎やそれに基づく評価や運動方法を学ぼう!というもの。

 

※参加者募集ページより


学生の自分にはまだ早いかな…と思ったものの、参加者募集の案内を見て、授業で暗記した骨や筋をこれからどうやって仕事に活かして行くのか?という疑問や、介護施設でアルバイトをしていながら「人の身体」をどのように見たらいいのか分からないというモヤモヤを思い出し、それらを解消するきっかけになるかも!という思いで参加することにした。

 

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第1回目・第2回目は姿勢評価の基礎講座

 

「姿勢評価」と聞いて真っ先に「難しそう!」と思った。そもそも何を見て何を評価したらいいのか検討もつかない。

 

しかし2回の講義を通して、姿勢を見るときのポイントを骨盤に絞り、矢状面・前額面・水平面で分けてパターンで考えるという方法を教えてもらい、さらにそれぞれの姿勢パターンで必要な運動方法(鍛えるべき筋とその鍛え方)を示してもらって、これなら自分でも姿勢を見てどこにアプローチしたらいいか分かりそう!と思えた。

 

分かりそう!なのはまだ練習が足りないからで、分かる!まで行けるようにその練習方法も教えてくれるのがこのセミナーの手厚い所。

どの姿勢の時にどの部分が縮こまっているか?どの部分が伸びているか?簡単な図で描いて確認できる方法も教えてもらった。

 

運動方法も具体的かつ細かくポイントの解説があり、画面越しに実際にみんなでやってみたりして、オンラインなのに現地開催のセミナーのような雰囲気だった。

 

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HAMT主催ならではの安心感

 

参加者で学生は私だけで、他は臨床に出ている方ばかりだった。でも決して場違いになることはなく、全員に考える機会や質問や発言する機会が平等にあって、和やかな雰囲気だった。

 

このセミナーに限らず私がHAMTのイベントで感じるのは「心理的安心感が保たれているなぁ」ということ。無論、無法地帯で何でも言っていいというわけでは当然ないけれど、素朴な疑問、自分が感じた率直な意見を伝えても、それが否定されることがない。お互い尊重し合って時間を過ごすという雰囲気が徹底されていて、「これを言ったらどう思われるか」など余計なことを気にせず、純粋に学びに集中できる。それが参加する上で良いところの一つだと思う。

 

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次回からは各関節の評価の勉強。今週は股関節!

 

その前に、姿勢のパターンの図のお絵描きと、各パターンの運動方法をアーカイブで復習だ〜!

 

中医の先生

2年生になって中医学の理論を用いた鍼灸に魅了され始め、最近は積極的に中医学の手法を用いた先生の治療院に行くようにしている。一言で中医学鍼灸と言っても、弁証も配穴も使う補瀉の手技も先生によって様々ということに気づき始めたから、色々な先生の治療を受けてみようと思っている。

 

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ところで、何人かの先生にお会いするうちに治療とは別に一つ気付いたことがある。

 

中医の先生って、早口の方多い!!!

 

まず、学校の中医学の先生がみんな早口である。普段定期的に通っている治療院の先生も早口である。この前お願いして単回で治療してもらった先生も、早口じゃなさそうな雰囲気だったのに話し始めたらめちゃ早口だった。

 

早口な上に情報量が多くて、短い尺に物凄い量の話が詰め込まれていたりする。

 

あ、これは、不満じゃなくて、ただの実感です!(念のため…)

 

私自身も、なんの意識もしなければ元々物凄い早口なので、早くても大体聞き取れるしある程度は頭も追いつく。私は中医学のことをもっと知りたいし、それを伝えてから治療を受けることが多いから先生方も色々とお話して下さる。治療を受けて技術を生で体感しながら先生方の考えまで聴けるのは、自分としては有難いし貴重な時間と思って過ごしている。限られた治療時間の中で色々なお話を沢山聴けるのは嬉しい。

 

 

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だがしかし!

 

この前、経験したこともないスピードで話す先生に出会ってしまった。所謂「達人」と呼ばれる先生で、普段早口に慣れてる私でもびっくりするくらいのスピードでお話されて仰天した。もちろん、問診はそんなスピードではなかった。患者(=私)にはゆっくりお話して下さるのだけれど、助手の方たちへ話すスピードが物凄く速かった。かなり集中していないと聞き逃してしまう。助手の方々は、しかし、全員普通に聞き取っている様子だった。

 

治療を受けた興奮もさながら、あまりの説明の速さに面食らった私は学校の先生にその出来事を報告しに行った。そうしたら「あの先生に限らず、中医学の先生に付こうと思ったら、あのスピードで更に声小さくても聞き取って理解できるくらいじゃないとダメだよ」というお話をされた。なんなら、途中から聞いてもなんの話してるのかわかるくらい思考働かせられないとダメらしい。

 

学校の先生が言わんとしてることは、その位先生の思考を理解する努力をしないといけないってことなのかなと思う。

 

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それにしたってあのスピード…

 

やっぱりそれを理解するには知識武装は必要不可欠だし、基礎をもっと当たり前のように頭に叩き込まないとなぁ。

 

達人の先生の鍼を次受けられるのがいつになるかわからないけど(今回はたまたま機会があったから受けられた)、次受ける時には何をお話されてるか、もっとスムーズに聞き取れるくらい勉強しよう。

 

【振返り】2年前期期末試験

2年生前期の期末試験が終わった。

 

解説授業がまだ残ってるけど昨日全教科の結果だけ帰ってきて、とりあえず全教科追試は回避できたことを確認。実技座学合わせて15教科の平均点は92.8点、座学10教科の平均点は95点。科目ごとに若干バラついたものの、平均的に良くできたかなぁという感じ。

 

そんな今回の期末試験の良かった所と改善点の振返りをざっくりと。

 

***
〜実技編〜

 

クラスメイトと沢山練習出来た

 

鍼実技が4科目、あん摩1科目。特に現代鍼灸科目やあん摩は、クラスメイトと沢山練習出来たのがよかった。リーダーシップがあるクラスメイト数名が実習室の予約や案内を頻繁にしてくれて、それに乗っかって練習に参加させてもらったり、うちにクラスメイトに来てもらって時間をかけて取穴やあん摩、姿勢の練習をした。実技は、やっぱり、やったらやった分だけできるようになるなぁ…当たり前だけど。後期もクラスメイトと協力して乗り切りたい…!

 

***
〜座学編〜

 

①自分に合うノートの使い方を習得した

 

iPadを持っているけど、授業中のちょっとしたメモや、エッセンスを纏めたものは紙のノートのほうが参照しやすいと思い、今学期からルーズリーフを併用するようになった。これがものすごく良くて、授業中に吸収できること、復習量が大幅にアップした。国試の勉強もこの方法をそのまま継続したい。クラスメイトも真似してくれてたりして、手前味噌だけど結構良い使い方だと思う。ノートのことは、また別の記事でオススメの使い方を書くつもり。

 

②持ってる知識を総動員

 

今回、試験勉強のための時間があまりなかった。まず学校のカリキュラムが、例年なら試験前に1ヶ月ほど休みがあってたっぷり自習時間が取れる所1週間ほどしかなく。ギリギリまで新しいことを習いながら試験に突入していく感じだった。あと、完全に自己責任だけど、誘われた遊びやイベントに全部行きたくなって遊び狂い、さらに1ヶ月半前位から三国志の沼にハマって家にいる時間はドラマばかり観ていた。

 

そんなわけで満足できる勉強時間が確保出来なかった。試験当日まで、病理学や公衆衛生学なんかは全試験範囲を網羅できなかった。でも試験は94点とかで。

 

どうやったかというと、生理学的に考えられる所とかは、用語とか授業内容とかは何にも覚えてなかったからその場で一から考えて無理矢理答えを導き出した…覚えてれば一発で解けるような問題を全部そんな感じの力技でやり過ごしたけれど、そもそも持ってる知識が曖昧だったり間違ってたら一発アウトだからかなりリスキーだったと思う。国試とかはこんなんじゃだめだなぁと思うし、もう少し暗記も頑張らないと、と思う。

 

③謎の意地を通して点を落とす

 

「この問題、これが正解っぽいけど私の考えではこっちが正解だな…」という問題が、何教科かにいくつかあって、「正解じゃなさそうだけど私はこう思うからこっちにしよう!」ということをやって何問か不正解になった。

 

それによって、2教科は自分の勘違いが明らかになって学び直しができた。今度こそ正しい知識!なんとなくで正解して曖昧なままになるより、ガツンと不正解になって再確認できたほうが絶対良かった!国試ではこんなことできないけど、定期試験だからこそできる学び方だと思う。

 

あと1教科は、どう考えても私のが正解だったけど、先生が申立に応じてくれなくてそのまま不正解になった。言いたいことはいっぱいあったけど…

 

それは西洋医学系科目の些細な部分で多分私の鍼灸人生には一生関わらないような内容だし、私が頑張りたいのは中医学やパルス治療だから、別にここの答えが何だっていいし、どうせ追試にはならないんだから点数もどうだっていいや、という気になった。

 

でも、繰り返しになるけど、国試ではこんなこととても言えないよねぇ…1点でも多くください…お願いします…って感じよねぇ…ま、今回は学校の試験だから!つまらない意地も通してみた。

 

④頑張りたい科目を頑張れた

 

好きな科目、中医弁証学、配穴処方学、臨床推論、パルス実技。この4教科だけは本気で頑張りたかった。

 

臨床推論はまだ分かんないけど、他3教科は学年最高点を取った。

 

点数は別にいいんだけど、特に中医の科目は絶対に落としたくないという気持ちで臨んだ。

 

3年生の臨床実習で中医の先生に付きたいのと、授業も放課後も熱心に勉強したつもりだったし、しょっちゅう質問に行ったりもしてた手前、あんまりトンチンカンな回答はできないという思いがあって、キチンとせねば…という謎のプレッシャーがあった(別に教員からはそんな期待されてないにも関わらず…)。

 

臨床推論も、担当の先生が好きだから単純に良い点取って褒められたいというヨコシマな気持ちと、あとは本当に臨床に必要な科目だから理解できないとマズイという思いでかなり頑張って勉強した。一応点は取れたけど、こればっかりは何度も繰り返してしっかり頭に定着させないといけないから明後日の解説授業で勘違いやわからないところを改めてチェックしたい。

 

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今回の試験は先生も国試を意識してる科目が多くて、2年生も半ばまで来て少しずつ国試対策ムードが広がり始めた感じで。

 

試験を受けながら、自分のこういうやり方は国試に合うな、これは国試に合わないな、じゃあやり方を変えなくちゃ、などなど、色々点検が出来た期間になったと思う。

 

やりたいことがいくらあって、それらの本をいくら読んだところで、国試に受からなければ実践する場は与えられないわけだから、そろそろ国試に受かることを意識した勉強方法にシフトしていかないとなぁ…。

帰る場所なんかない

って常々思ってる、と言ったらビックリされてしまった。

 

最初からそのつもりだし、

 

自分の力で生きていく。

 

力尽きたり頑張れなくなったら自分の生命活動がそこで終わるだけ。

 

時々不安になることもあるし、周りの人の環境と比べて卑屈になる時もあるけど、

 

まだ終わらせたくないし終わらなさそうだな〜って思うから、少しだけ先を見据えて、やるべきこととできることをやっていく。それだけ。