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日常の些事。

私のヘルシオ生活①~始まりは突然に~

2026年8月6日の朝。その瞬間は突然訪れた。いつものように朝食のために冷凍していたご飯を電子レンジで解凍し、次にお弁当用のご飯を解凍しようとしたその時だった。電子レンジのモニターに「H66」という見慣れない文字が表示された。

 

「何かのエラーコードだな」と思いググってみると「H66」は「内部のセンサー(蒸気センサーや高圧トランスなど)や制御基板の不具合・断線を示す深刻な異常表示」だとAIが言うではないか。続いて書かれているように電源を抜いてみたりドアを開閉してみたもののうんともすんとも言わない。「これはもうだめだ。」私は早々にご飯を解凍することを諦めた。

 

電子レンジに貼りついているラベルを見るとそこには「2007年製」と書かれていた。19年物である。この電子レンジは初めて一人暮らしを始めた時に、道場の先輩が「私は電子レンジを使わない生活をしているから」と言ってタダで譲ってくれた物だった。2016年のことだったのでその時点で9年使われており、私の元でさらに10年頑張ったことになる。AIによると電子レンジの耐用年数は10年らしいので、倍働いたことになる。よく頑張ってくれた。ありがとう、無印良品の電子レンジ。

 

そんなわけで新しい電子レンジを買うことにした。

 

続く。

思考力も言語力も集中力も落ちまして

手軽さからか、容易に承認欲求が満たされるから癖になるのか、最近、というかもうずっと、思い付いた言葉をTwitterにばかり書いていた。

 

140字で収まる手軽さ。

多くを語れない分表面的でもそれっぽくなって、自分でも何かを錯覚する気がする。

「いいね」のハートを押してくれる人がいる。

私は俗人だから、いいねをもらうと簡単に嬉しくなって承認欲求が満たされる。

 

自分の思いに共感してもらえるのは嬉しいし、自分も「この考え方いいな」と思ったらいいねもリツイートもする。時に引用もする。お互いいいねを押し合うような関係の人とは実際に会っても波長が合うことが多いと思っているし、会いたいなと思うし、Twitterがきっかけで知り合ってそこから関係が続いているケースも多い。学びがあるし、いいことがいっぱいある。

 

しかし、だ。

 

コミュニケーションツールとしての役割はいいとして、短い言葉だけで何かを言って、そこで自分の思考を止めていいのかと言ったらそれは違うと自分に対して思い始めた。

 

感覚的なものだけど、以前より1段階も2段階も、自分の思考の層が浅くなっている気がする。元々すごく考えが深いかと問われたらそんなこと無いけれど、過去の自分との比較で思考力が落ちている気がする。

 

思考力の延長で言語化する力も以前より落ちている気がする。考えていれば言葉にもできるはずだから、上手く言葉にできないということは思考が足りていないんだと思う。ついでながら集中力も落ちていて前より物を読めなくなった。

 

短い言葉を呟いて、短い言葉だけを読んで、何かを分かった気になってしまう。

 

思考が深い人たちの投稿は短い言葉でも鋭く、深く、核心を突いていて、それは深く思考した人達がエッセンシャルな部分を丁寧にまとめた言葉だからだけど、それらの人の短い言葉の背景には多くの経験と知識と思考がある。その上澄だけを見て私が何かを分かったように思うのは絶対に違うと思う。示唆に富んだ投稿はヒントにはなるけれど、それを読んだくらいで賢くなんかなれないのだ。それなのに。以下略。

 

そんなわけで、最近できるだけTwitterから離れようとしている。自分にとってはコミュニケーションツールとしての側面も大きいし業界の話題も入ってくるから、完全に見ないというわけではないけれど、思いや感情をあまりTwitterだけで表現するのはやめたいなと思っている。それより、自分の思いや感情の動きを、順を追って丁寧にブログに書きたいなと思っている。

 

私のブログは学びとか知識とかそういう類のものではなくて、人の役に立つことも目指していないし、一個人の日常での感情なんかどんなふうに表出したって同じかもしれないけれど、自分のために、考えながら、ある程度まとまった形で文字に起こしたいなと思う。

 

 

 

銭湯計画(3)

前回までの続き。

銭湯計画(1) - Blog 1/445

銭湯計画(2) - Blog 1/445

 

銭湯通いを習慣にすべく進化を続ける私の記録。

 

これまで3回の銭湯通いを経て(←少ない)、私は銭湯で必要な物の忘れ物をしなくなり、日曜日の夜に銭湯を利用することで月曜日に向けて体を整えられるようになった。

 

そこで次にこだわりたいのは、シャンプーやボディソープといった入浴グッズだ。

 

毎日贅沢はできないけれど、銭湯に行く日は普段使わない少し高めの物を使いたい。香りがしっかりしたものが好きだから銭湯で髪や体を洗う時は香りがいい物を使いたい。

 

髪はロクシタンのインテンシブリペアが長く続くし好きな香りだけどこれはちょっと贅沢過ぎるので一旦保留として、ドラッグストアで1回使い切りタイプの物をお試しでいくつか買ってみることにした。普段使っている物の倍以上の価格だけど、週1回ならいいかなと思う。

 

ボデイソープも選びたいけど、なかなかちょうどいいのが見つからずひとまず無印良品と、コスメショップでお試しで買った1回使い切りの物をいくつか。

 

湯上がりに使う用にボディローションやヘアミルクも買ってみた。

 

これらを入れるちょうどいいビニールバッグも欲しいところ、探したけれどコレだというものが見つからず、これも暫定措置として100円ショップのサウナバッグを買ってきた。まぁ別にそんなに悪くはない。

 

銭湯では、広い湯船で思い切りのびのびしたい。好きな香りを楽しみたい(もちろん周りの迷惑にならない程度に)。好きなグッズや使い心地の良いグッズで固めて体も心もリラックスしたい。そうして次の日からまた頑張りたい。

 

そのためには今の布陣はまだ不十分で、入浴グッズの模索はもう少し続きそうだ。

 

銭湯計画(2)

前回の続報。

銭湯計画(1) - Blog 1/445

 

あれから2度銭湯に行った。もう以前のようにタオルや飲み物を忘れるようなヘマはしない。銭湯で体をほぐす習慣をつけたい私は少しずつ進化しているので今日はその報告をしたい。

 

まず、前回の記事で銭湯に行くのは金曜日と宣言していたが、日曜日に替えることにした。

 

金曜日というのは贅沢だ。一週間の仕事が終わり、次の日は休みである。仕事に支障が出るのを心配して平日は飲めないお酒を好きなだけ飲んでもいいし、健康的にどうかはさておき好きなだけ夜更かししてもいいし遅刻を気にして朝早く起きたりもしなくていい。

 

土曜日は一番のびのびできる。友達と遊びに行ったり、買い物に行ったり、本を読んだり、散歩をしたり。何をしたっていい。なんでもできる。それが土曜日。

 

日曜日だって素敵だ。土曜日は外出の予定を入れがちだが日曜日は何の予定も入れていないことが多い。部屋を片付けたり、食事を作ったり、次に始まる一週間のために自分の周りを整えることに時間を費やす。色々するけれど時間に追われるわけでもなく、自分のために自分でやっていることだからあまりストレスは無い。だけど月曜日からは肉体的にも精神的にもまた走らなくてはいけない。決して嫌ではないけれど、明日から身体を酷使することはわかっている。

 

それならば。後先考えず好きなことをして欲望を満たせる金曜日より、明日への英気を養うために日曜日に銭湯に行った方がいいのではないか。人に気を遣うことなく好きなことをしてリラックスできる金曜日の夜や土曜日に銭湯に行くのは贅沢だ。ただでさえ好きなことばかりしているのにその上銭湯まで行くなんて。日曜日の夜に銭湯に行って体を休めた方が月曜日からの頑張りに一役買えるのではと思い至った。

 

そんなわけで、銭湯通いは日曜日の夜ということに決まったのだった。

 

 

 

銭湯計画(1)

家から歩いてすぐのところに銭湯がある。流行りの施設にあるような設備は一切無く、大きな浴槽が一つと洗い場だけがある無骨でシンプルな、正に「銭湯」である。

 

東京に引っ越してきた初日、まだガスが通っていなかったので一度だけ利用した。土地勘が無く夜道で暗かったのもありずいぶん遠く感じてしまいそれ以来行っていなかったのだが、昨日久しぶりに行ってみたらものすごく近かった。

 

訪問マッサージの仕事も少しずつ一人で任せてもらえることが増え、それに比例して一日の移動距離も増えてきた。移動は自転車なので通勤と合わせて毎日25kmくらいは自転車を漕いでいるのと、マッサージだけでなく身体介助もするため平日は一日中体を動かしている。疲れて動けないということは全く無いが、週末になるとやり切った解放感と合わせて体の疲れがドッと押し寄せてくるようになった。

 

昨晩ついにそれがピークに達し「ああっ!全身労わりたい!大きな湯船で体を伸ばして全身あったまりたい!」という欲望が噴出し、そうだ、あの銭湯に行ってみよう、ということになった。思い立ったのは夜も8時を過ぎた頃で、10時に閉まる銭湯は9時半には受付終了、というまぁまぁギリギリの時間であった。行くと決めたならグズグズしてはいられない。休日で特に何をしたわけでもなかったが疲れていて頭が働かず、とりあえず風呂で使いそうな物を適当にカバンに詰めて銭湯へ向かった。

 

銭湯に着くと近頃の燃料費の高騰のためか、3月に行った時は500円だった料金が550円になっていた。潰れるより値上げしても存続してくれたほうがいいので550円払った。

 

払ったところでタオルを持ってきていないことに気が付いた。入湯料の値上げは良いとしても、近所で安くくつろげるから来たのにここに来てタオルを有料で借りるのは憚られる…一旦取りに戻るか…?でも時間が…と思っていたらフェイスタオル1枚は無料で貸してくれると言われて有難くお借りすることにした。危ないところだった。

 

おぼろげな記憶で脱衣所に給水機があった気がして水を飲まずに行ったら記憶違いで水飲み場は無かった。ちょっと喉が渇いてるけどタオルも借りたしもうここまで来たら水など飲まずに入るしかないと意を決して浴室へ向かった。

 

浴室に入るとホームページにシャンプー・リンス・ボディソープ無料とあったのに何も無く、あれ?と思いながら持参したもので体と髪を洗った。シャンプーとコンディショナー、洗顔石鹸や泡立てタオルはしっかり持ってきていて、タオルは忘れたくせにそのことは棚に上げて「準備がしっかりできていてよかった」などと思いながら洗った。ボディソープは持っていなかったが、顔を洗えるなら体を洗っても同じだろうと考えて洗顔石鹸を泡立てて使った。汚れが落ちて浴槽に入れれば何でもいいのだ。

 

ちょっとした思い違いはあったものの無事に身を清めてついにお待ちかねの入浴である。ジェットバスも色んな種類の浴槽も無い、水風呂さえ無い、本当にただデカイだけの浴槽に、熱過ぎもせずぬるくもないちょうど良い温度のお湯がなみなみと満ちている。そこに全身ざぶんと浸かった。

 

(〜〜〜ッ!!!)

 

言葉にならないとはこのことである。文句無しに全身に染み渡るような心地だった。

 

ギリギリになったけど、タオルも忘れたけど、来てよかったナァ〜おいおい、ア〜極楽極楽、とオッサンみたいな感想を抱きながら湯に浸かり、遅い時間で湯船には自分一人だったのをいいことに肩を回したり背中を伸ばしたり脚を揉んだり好き放題にストレッチをし、だんだんのぼせてきたので最後は膝から下だけ足湯をして入浴を終えた。

 

ドライヤーは20円式で、私は髪が長いので微妙に時間が足りなかったが大体渇いたしこんなもんでいいかということにした。

 

流石に喉が渇いたし、風呂上がりは牛乳でも飲むかと思ったらなんとプレーンの牛乳は無かった。他の飲み物もちょっぴりだが高い。銭湯の売り上げに貢献できないのは申し訳ないが、これなら帰り道に近所で買って飲むかと思い、銭湯を辞してスーパーに行くことにした。

 

帰り際フロントの後ろを振り返ったら、そこに貸出用のシャンプーとリンスとボディソープが大量に積まれていた。靴箱の鍵を預けると1セット借りられるシステムということだった。早く湯に浸かりたい一心ですっかり見落としていた。

 

外に出たら、体が軽いことに気が付いた。全身の力がいい感じに抜けてなんとも気持ちが良い。まだ暑くもなく、乾き切らなかった髪に当たる夜風が心地良く、ハッピーな気分になった。すぐそばにあるスーパーで、普段あまり買わないマンゴーラッシーを買った。湯上がりで温まった体と抜群に仕上がった喉の渇きに冷たくて甘いラッシーは最高だった。ラッシーを飲みながらぶらぶらと歩いて家に帰ると、ドッと眠気が押し寄せて、急いで歯磨きをして横になったら朝までぐっすり眠れた。

 

5日間頑張り抜いた体と心に銭湯は最高の癒しと労わりになると知った夜。週末は金曜の居酒屋がルーティン化しつつあるけれど、ここに銭湯も加えよう、と思った。

 

次回は今回の反省を踏まえて、より快適に、より心地良く銭湯を楽しむために計画を立てて行こうと思う。

 

最近の生活サイクル

東京に戻ってきて3ヶ月。新しい仕事を始めて2ヶ月と少し。段々と生活のリズムが出来てきたように思う。いや、まだ「リズム」と言うにはテンポがバラついているから、ザックリとした型とでも言おうか。ともかく、1週間がどのように過ぎるか少しずつ見通しが立てられるようになってきた。

 

仕事の中身はまだ整っていないけれど、今毎日ほんの少しずつ積み上げている最中で、その細かい部分を置いておくと、私の1週間は大体以下のようになる。

 

月曜日〜金曜日

とにかく仕事だけ頑張る

 

金曜日の夜 

一人で好きなことをする(読書、晩酌)

 

土曜日

友達と会うなど外出

 

日曜日

家の用事や自分のやる事や休息

たまに勉強会など

 

特別なことは何も無い平凡さだが、この「何事も無い日常」が私にはとてつもなく有り難く、毎日が穏やかでそれがとても嬉しい。悩みはあるしこれまでみたいに自己嫌悪することもたくさんあるけれど、それらは月並みなもので自分自身で立ち向かったり乗り越えて然るべき範疇のものだと思っている。適切なストレス、とでも言おうか。

 

ずっとあった「嫌な感覚」「おぞましい物たち」は少しずつ自分から抜けていっているように感じる。それらに繋がる人や物事や思考を意識的に避けるようにし始めたのも良い効果を生んでいると思う。

 

自分の中にある「嫌な感覚」は一生消えないと思っていた。「それ」が無い状態で見える世界は想像もつかなかった。でも想像も出来なかった世界を今自分の目で見て脳や身体や心で感じていると思う。「それ」が無い人達には、世界は、日常は、こうやって見えていたんだという新鮮な驚き。「ようやく“人間”になった」。1日の終わりに「“人間”として今日も生きた」と清々しく思える喜び。自分は“人間”になれないまま一生が終わるんだと思っていたから、死ぬまでに“人間”になって世界を見られて良かったと思う。これで次のもう一段階高い世界をようやく見に行ける。ここから先は、今までとは違う頑張りが要るけど、大変そうだけどきっと楽しくて尊い。

 

バースデイ・イブ・イブの気持ち(経過良好)

誕生日を迎えるにあたって今思うこと。

 

今とても幸せだし毎日が楽しい。

 

自分のブログなのに探せなくて悔しいのだが、過去の記事で私は「資格を取って2年目、36歳の時に楽しいと思える自分になりたい」と書いた。資格取得1年目は余裕が無いから自分の性格的に楽しいと思えないだろう、だけど慣れてくる2年目には少しは楽しいと思えているはずだ、という理由だったと思う。実際どうだったかというと、資格取得2年目はなかなかしんどくて楽しいこともあったけれど職業的にも私生活的にも充実感は無かった。

 

3年目になって業界内で転職をした。だからまだ1ヶ月半しか経ってないので仕事上何か成し遂げたりはしていないし、全く違う分野だからまたゼロからのスタートで慣れていないという点では免許取り立ての頃と変わりない。

 

そんな状態で迎えた3年目の今はどうかというと、毎日すごく楽しい。元々資格を取ってやりたいと考えていた仕事に就いて、7年前に自分がなりたいと思っていた状態にかなり近づきつつある。目標にしていた自分像が見えてきて、まだ到達していないけれどこのまま頑張れば手が届きそうだと思えるようになった。今のこの状況が楽しい。

 

だから数年前(そのブログをいつ書いたのか本当に思い出せないけれど、資格取得前なのは間違いないから4年以上前)の自分に「あの頃なりたいと思っていた自分に向かって進めているから安心せよ」と言ってやりたい。とかく不安が大きい毎日を過ごしていたから。

 

今こんなふうに穏やかに過ごせているのは、様々な問題から目を逸らさずに向き合ってきた自分自身と、なりたい自分になれる環境、様々な機会や気付きを与えてくれた周りの人々(公私問わず)のおかげだと毎日思う。自分にも周りにも、有難いと思う。

 

心をズタズタにしてまで自分に向き合おうとしてもがいたこれまでの自分にも有難いと思うし、こんな私と付き合ってくれてる人たちや雇ってくれている会社の存在も本当に有難いと思う。尊敬する人が「ありがとうという言葉は“有るのが難しい”と書く。難しいことをしてくれるから人は有難いと思うんだ」という話をよくしてくれるが、本当にどれも簡単なことではないのだ。自分に向き合うことも、人と人が交流を築くことも、人を雇う、雇ってもらうことも、そしてそれらを続けることも。その難しさ、大変さが、自分の尺度の範囲でかもしれないけれど分かる、想像ができるから、身の回りの全てが有難い。

 

書き忘れてたけど、今の住環境も有難い。これこそ正に「有り難い」だ。なんせ都会のど真ん中な上に家自体もかなり住みやすい。こんな良いところに住んだことが無いくらい良い。奇跡の物件である。

 

とにかく37歳を目前にして、人に恵まれ、仕事に恵まれ、家にも恵まれ、今のところ自分も元気だし、何もかもが有難い。この穏やかな気持ちと日々がずっとずっと続くといいな、続けられるように頑張りたいな、というのが今年の誕生日を迎えるにあたっての思いだ。