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日常の些事。

小心者が一人旅を企てるまで

2年と決めて引っ越してきた地方滞在が間も無く終わろうとしている。どのくらい間も無くかと言うと、今日で残りピッタリ2ヶ月というところまで来た。長かったと言えば長かったし、あっという間と言えばあっという間だった気もする。うそ、やっぱり長かった。だけど残りの2ヶ月はあっという間に過ぎるんだろうなと思う。2026年ももう12日経っちゃったし。1/24くらい過ぎたってことでしょ、早い。

 

初めて東京を離れてみて、なんだ意外とどこでも住める、という気持ちにもなって、この地方での2年が終わったら関西とか、関東でもちょっと郊外か、どこかこれまで住んだことが無い所に移り住もうかなとも考えたけど、日が経つにつれて東京に戻りたくなって結局都心のド真ん中に引っ越すことにした。

 

 

そんなことはさておき。

 

残り2ヶ月。この地は東京から結構遠い。一度離れたらそんなに頻繁に来られるほど近くない。新しい仕事ではもうまとまった休みは殆ど取れない。となると、残り2ヶ月でこの地方に住んでいるから行きやすい所へ行っておかなければという気持ちが急速に湧いてきた。

 

職業的にも多少縁があると思われる隣県のとある場所に、私はずっと行ってみたいと思っていた。

 

しかし隣県と言えどもそれなりに遠い。小さい地方と思っていたが、この地方は首都圏より大きい印象で、おまけに交通の便が悪い。東京から神奈川や千葉、埼玉あたりにちょっと行こうというのとは訳が違う。車で3時間はかかる。物心付いてから行ったことが無いが、多分群馬くらいまで行く感覚な気がする。気軽なようで気軽じゃないし、公共交通機関で行くしか選択肢が無い私の場合、隣県内での市をまたぐ移動も考えるととても日帰りでは行けそうになかった。

 

泊まりとなると急に腰が重くなる。

 

友達に会ったり、勉強会に参加したり、ライブに行ったりと、何か目的となるイベントがあればなんの躊躇いも無くチケットを買って宿を取り、フットワーク軽く出掛けるし、単独行動も好きなので旅先の空き時間は一人でもあちこち行って楽しみ、旅行という程でもない日帰りで行ける場所には普段からあちこち行く。だが今回目的となるイベントは何も無い。しかしこっちに引っ越してきてからずっと「一度は行ってみたい」と思いながら「そのうち行こう」と思っている内にきっかけとなるイベントも無いままタイミリミットが近付いてきてしまった。

 

どうも私は何か理由が無いと何も行動できないタイプのようだということに今更ながら気が付いた。ただ楽しむために、何もしないために、リラックスするために、少なくとも数万円かけて一人でどこかに行く、というのがなんとなくできない。特に自分一人だけで1泊2日のために数万円、というのがケチな私を思い止まらせた。交通費は変わらないのだから同じくらいの金額でもっと長く滞在しようと思えばできるのに、なんだか勿体無い気がする。目的を持たないとどこにも行けない上に貧乏性。我ながらつまんない奴だなと思う。

 

しかしぐずぐずしてはいられない。それなのに結局ぐずぐずして無為な時間が過ぎて行った。

 

そんな中、正月の旅番組でその隣県の別の名所が出てきた。あまりにも美しい景色!これは是非とも自分の目で見たいと思った。そこはピンポイント過ぎて、恐らくわざわざそこのためだけに東京から行くことは今後の人生で無いだろうと思う場所だったので、これをきっかけに重い腰を上げてついに隣県に行ってみることにした。

 

一度決めたら行動は早いので、早速次の週末の天気を調べ(今回の訪問先は天候がとても重要なのだ)ホテルと交通チケットを手配した。これでもう、あとは行くだけだ。

 

 

今回の旅を計画していて改めて気付いたのは「そのうち」と思っていると「そのうち」という日は永遠に来ないのだという極めて当たり前のことだった。「そのうち」と思っている内に簡単にできなくなることが増えていく。

 

前に、有名な神社にお参りに行こうと思ったら、長く急な石段を昇らなくては行けなかったことがある。これは、足が悪くなったら行けないな、と思った。

 

別の観光地で「有名な木があるから見にいくといいよ」と教えてもらった木は、崖とは言わないまでもかなり足場が悪い斜面を下っていかなければならず、これも足が悪くなったら行けないと思った。

 

お金はもちろん有限だけど、時間も、体力も、身体も有限だ。あまり「そのうち」と思わずに、なんでも思い立ったらさっさと行動したほうが良いと、まぁ本当今更言うまでもないことを、つくづく実感したのだった。

 

去年の漢字を「動」にしたけど、今年はもっと積極的に、やろうと思ったことはさっさと行動に移していきたいし動き続ける年にしたいなぁ。

 

とりあえず、週末の旅行を楽しんでこよう。今しか見られないものを、この目にいっぱい焼き付ける。

元気が無い日にあると嬉しいもの

毎日食べるわけじゃないけどふとした時に家にあると嬉しい食べ物ベスト2(半端)。

 

その1.無印良品のカレー

無印良品のカレーはご褒美感がある、と感じるのは私だけ?もう疲れた…美味しいものを食べて元気を出したいけどご飯作りたくない…外食も行きたくない…買いに行くのも面倒くさい…もう1歩も動きたくない…なんて時、戸棚に無印良品のカレーがあると嬉しくなる。

無印良品のカレーは、レトルトだけどなんとなく外食感がある。種類も、カレー屋さんで食べるような物やちょっと変わった物と色々あって、どれも美味しい。日本っぽいもの、欧風、タイ風、インド風…自分でもスパイスカレーを作るけど、私はそんなに色々なスパイスを使いこなせないし、簡単だけど意外と時間がかかるし、凝った物は作れないから、無印良品のカレーは神がかって見える。無印良品週間などで安くなっている時や、お金にちょっと余裕がある時に、色んな種類を買って棚にストックしておく。

 

実は今日も、体調が悪くて家から一歩も出られなかった。当然買い物には行けないし、冷蔵庫に食材はあるけど料理もしたくない。でもお正月だし、体調が悪くても何か美味しいものが食べたい…できればお腹にもちょっと優しい物…

 

と、こんな状態だった時に「そうだ、戸棚に無印のスープカレーがあったんだった!」と思い出した瞬間の安心感と幸福感…。

 

体調が優れない本日食べたのは「北海道味噌と豆乳のスープカレー」で、大きなレンコンと鶏肉とコリコリ食感のキクラゲがたくさん入っていて食べ応え抜群。レンコンって煮込むとこんなにホロホロになるの?と思うほど柔らかいレンコンとごろごろのお肉。キクラゲの食感と風味が楽しいアクセント。そしてココナッツミルクと豆乳ベースの中に、ほんのり味噌のコク!この「ちょっとの味噌感」が味噌好きの私には堪らん、旨い!西京味噌や麦味噌のような甘い味噌が大好きな私には最高の甘めの味噌風味。カレーに味噌入れると美味しいんだなぁ、今度カレーを作る時は味噌を入れたレシピでやってみよう、と思った。お店で注文したら量も多いし価格もそれなりだから勇気が要るけど、ちょっと冒険のようなカレーも気軽に試せるのがレトルトのいいところだし、無印良品のカレーは好みはあるかもしれないけどハズレは少ないと思うから尚更試しやすい。

 

タイカレーはカルディで買うことが多いからあまり買わないけど(突然の裏切り)、それ以外の色々なカレーは無印頼み。元気が無い日のエネルギーチャージのために5〜6種類は常備しておきたい品。

 

 

その2.ハーゲンダッツアソートボックス

私はアイスがあまり好きじゃない。理由は、急いで食べないと溶けてしまうからだ。甘い物は、コーヒーやお茶を飲みながら、本を読んだり映画を観たりしつつ、ゆっくりゆっくり味わいたい。アイスでは、それができない。急いで食べなければすぐにドロドロになる。同じ理由でソフトクリームも好きではない。特にコーンは最悪で、うっかりのんびり食べてしまったら収拾が付かない事態になる。アイスに限らず私は食べるのも遅いし、冷たい物を一気に食べると口も冷たいしお腹も冷えるし頭も痛くなるので、アイスや氷菓子との相性は良くないのだ。ついでながら最近流行っているようなかき氷も好きではない。絶対食べきれない(でもきな粉餅のソルビンだけは食べる。あれは溶けても美味しいから急いで食べなくていいのだ)。

 

そんなアイスが苦手な私も、ごくたまにアイスが食べたくなる。すごく疲れた時や、なんだか分からないけどつらい時や、よく分からないけど嬉しい気分の時などに「アイス食べたいなー」と、ふと思う。だけどたくさんは食べられない。ちょっとだけ、特別で美味しいアイスが食べたい。そんな時に冷凍庫に「あ、ハーゲンダッツがあるんだった」と思い出した時の多幸感…。

 

しかもアソートボックスには3種類のフレーバーが入っている。定番のラバーズアソートならバニラ・ストロベリー・クッキー&クリーム。クラシックアソートならバニラは同じでグリーンティーとラムレーズンだ。他にも期間限定のパックが出ていることもある。3つの中から「今日はどれを食べようかな」と選ぶのも楽しい。

 

話は少し逸れるが、私は物を売る時、種類が3つあると売れやすいのでは、と思っている。1種類だとそれにハマらないと「要らない」となるし、2種類もなんとなく選択肢が少ない気がする。4種類では多過ぎて、迷った結果面倒になって「やっぱり要らない」となると思う。3種類だと選ぶ楽しさと選ぶ負担のバランスがちょうど良いと思う。「買ってください」と言わなくてもいつの間にかお客さんが「(買うことは前提で)自分が選んでいる」という気分になってきて買って帰ってくれる。そんな気がする。これは何かで読んだり教わったことではなく、昔試食販売のマネキンのバイトをしていた時に自分で感じたことで、サンプルや対象商品が3種類の時が一番売りやすかったし実際よく売れたという経験からこう思っている。だから私は、人に何か提案するときはできるだけ3パターンで提案するようにしている。そうすると色んなことがスムーズに決まりやすい気がしている。3種類が、一番メリットとデメリットと妥協点を比較して自分なりのベストを能動的に選べるからかな、と思う。

 

話をハーゲンダッツに戻そう。自分の家で、すでに購入済みのハーゲンダッツを選ぶのは別に商売とは関係ない話でどうでもいいのだが、今述べたような理由で私自身が3種類から選ぶことが好きなのだと思われる。ともかく3種類から選べるアソートボックスが好きなのだ。もし誰かが気を利かせて、色んな種類のハーゲンダッツを買ってきたりしたら私は混乱すると思う。そんなにたくさんの中から選べないし、もし一つ選んでも、選ばなかった他の種類が頭の中で無数にチラついて目の前のダッツに集中できない(今無意識に「ダッツ」と書いたがハーゲンダッツってどこが言葉の切れ目なんだろうか。ハーゲン・ダッツ?ハーゲンダッ・ツ?)。

 

そんなわけで3種類の中からその時の気分などを考慮して1つを選ぶ。これでまず、選ぶ楽しさと選んだ満足感を得られる。その後はお楽しみの味わいタイムで、これはただもう無心にハーゲンダッツを食べる。コーヒーなんかもあると甘いと苦いのマリアージュで尚良い。

 

そしてアソートボックスのもう一つの良さは、通常サイズよりちょっとだけ小さいというところだ。通常サイズだと、贅沢なことに飽きてくる。いや、通常サイズも好きだ。だけど、特別でもなんでもない夜に、気ままに食べるには少し多過ぎる気がする。ほんの少し、甘い物が食べられたら満足なのだ。過ぎたるは猶及ばざるが如しである。

 

アソートボックスは、ドンキ・ホーテやイオン系列のスーパーで買う。家から近いのと、時々すごく安くなるからだ。自分の中での底値は698円で、この価格で見つけた時に買って冷凍庫に入れておく。そんなに頻繁に食べないから、1度買ったら結構長い間ある。そして本当につらくて何か嫌な時や、本当はお酒を飲みたいくらい浮かれているけどお酒は飲めないような時に食べるのだ。もし冷凍庫にハーゲンダッツが常備されていなかったら、こんな気持ちの時にどうしたらいいのか分からなかったり飲むべきではないのにお酒を飲んでしまうだろう。ハーゲンダッツを常備するのは心と体に良いことなのだ。

 

 

以上、元気が無い日にあると嬉しいもの2選について。この2つが定番だけど、セーフティネットは多いに越したことはないから、新たな「あると嬉しいもの」も増やしていきたい。

SNSに疲れるなど

年末年始、できるだけSNSを見ないぞ!と決めて過ごしている。

 

普段SNSをすごく見てしまって、気付くと2時間くらい経っていることも。

 

SNSに流れてくる、知り合いの近況や想いにほっこりしたり刺激を受けたり、他の人の考えにハッとさせられたり。職業に関する新しい情報を手に入れられることもある。そういうのは私にとって大事なことではあるけれど、いかんせん見過ぎはなー、と思う。

 

それだけの時間にどれだけ本を読めたか、新しいことをどれだけ学べたかと思うとSNSは情報収集のコスパ(タイパ?)が良いようで実はそうでも無い。その時間、私が手にしたのは表面だけだ。

 

DMやLINEや手紙を頻繁にやり取りすることはない、少し関わりのある人達が今日も遠くで元気でいるんだなぁと思うと嬉しい気持ちになる。頑張ってるんだなぁと思うと元気が出る。職業に関わる様々な情報もとても助かるし有難い。だけどそういうものだけが目に留まるわけではない。

 

好きだな、と思っている人同士がやり合っているのも目にする。誤解があるんだろうなぁと思う。だけどSNSに誤解を解く機能は無い、そういう、互いを理解し合おうとするコミュニケーションにSNSは向かないと私は思う。私の言うSNSは主にTwitterのことだけど、他も大体同じなんじゃないかと思う。

 

短く流れていく一瞬の思い。

その一瞬に“反応”して起こる思い。

その連鎖。

 

反応は、ポジティブなものはまぁいいかなと思うけど、そうでない反応はちょっと立ち止まった方がいいと思っている。反応から出る言葉や行動の結果は往々にしてあんまり良くない気がしている。自分の経験上。

 

私は反応しやすいタイプだから、結構いちいち反応してしまう。反応することそれ自体が疲れるのに、その反応に一旦ストップをかけて考えると更に疲れる。私は基本的に反応も考えたことも外に出さないから、湧き起こってしまった感情や思考の処理に少し困ったりもする。

 

見ると色々言いたくなることも多い。だけどさっき書いたようにSNSはコミュニケーションに向かない。短い文章の中で誤解無く自分の考えを伝えることは不可能に近いし、いわゆるツリーという形で後に文章を繋げても多くの人はそれを読まない。みんな、最初の少しを見ただけで分かった気になってしまう。自分だってそうだ(だから私は何か意見っぽいものを見かけて自分なりに何か思うところがあったら必ずツリーを全部読むようにしている。最後まで読む方が読み間違いが少なくなると思っている)。

 

きちんと議論できる思考や考えがあって何か言いたくなるならまだいいが、自分くらいの浅さで色々言いたくなるのは危険だと思う。自分も誤解される可能性があるし、たまたま目にした他の人が私の考えとは違う解釈をして良くない方向に話が拡がるかもしれない。

 

こんなことまで考えながらSNSを見ているからどうにも疲れる。

 

SNSで出会った人にたくさん助けられてきたし、最初の方に書いたようにポジティブなエネルギーもたくさん受け取っている。だから本当はSNSが大好きだし、自分も何か人にポジティブなエネルギーを送れたら嬉しい。

 

要は使いようなのだ。自分が心地良く、周りの人にもちょうどいい塩梅で使っていけたらいいなと思う。

2025年・私の「今年の漢字一文字」

毎年恒例、私の「今年の漢字一文字」。

今年も無事に決まりました。

 

2025年の漢字の前に、

歴代の「今年の漢字一文字」を振り返りましょう。

 

2018年は「削」

(まだブログやってなくてリンク貼れる記録がない)

2019年は「転」

【455】2019年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445

2020年は「繋」

【91】2020年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445

2021年は「恵」

2021年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445

2022年は「初」

2022年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445

2023年は「乱」

2023年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445

2024年は「変」

2024年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445

 

なんの気無しに始めた「今年の漢字」も今年で8個目と思うと感慨深い…って、こんなこと言うのは10個目くらいか。感慨深さの前借りをしてしまった。

 

ところで毎年漢字を決める時期はバラバラで、年末ギリギリまで決まらない年もあれば年明けになってから書き始めるなんてこともあるのだけれど、今年はなんと11月の時点で決まっていた。

 

気になりますよね?気になりますよね〜ッ!?(煽)

 

それでは発表します!!

 

〜ドラムロール〜(※毎年一人で盛り上がる設定なのでお付き合いください)

 

記念すべき2025年の私の漢字は…!!!

 

〜ドラムロール〜

 

ダンッ!

 

「動」です!!!!!

 

〜拍手と歓声〜

 

それでは採用理由に参りましょう。

 

***

※ここからは通常テンションでお送りします、茶番は終了です。

***

①移動が多かった

 

シンプルに、今年は移動が多かった。大阪2回、名古屋1回、広島2回、東京3回。

しょっちゅうあちこち行く人からしたら少ないほうかもしれないが、これまで年2回くらいしか旅行に行かなかった私からするとまぁまぁな回数だった。時期をならしたら2ヶ月に1回のペースでどこかに行っていたことになる。一番詰まっていたのは10月11月で、隔週で広島→広島→大阪と、我ながらハイペースであった。

 

内訳としては勉強会、人と会う、学会、ライブ。こうして振り返ってみると、この移動回数は地方に住んでいるからだなという気がしてきた。会いたい人の多くは東京にいるし、勉強会も東京開催が多く、地方の仲間も東京で会えることしばしば。ライブも東京公演は必ずあるから東京で行く。学会は毎年場所が変わるのでなんとも言えないが、他県でやる支部会とかは今の職場でなければ参加する機会がなかったと思うからこれもやっぱり地方にいるからなんだろうと思う。

 

元々あまり動かないで一処でじっとしていたいタイプなのでこの移動量は自分史上初だった。基本的に誘われれば行くが、自分の意志で行くと決めて自分で準備して動くのがこんなに多かったことはない。

 

だけど今年あちこち行ってみて思ったのは「動くの楽しい!」だった。

 

特に広島は2度とも本当に素晴らしい時間だった。こんなに楽しい時間が自分の人生にあったのかと思うくらい楽しかった。

 

広島の思い出はまた別に書くとして、月並みな言葉だが、なんでも自分の目で直接見る、自分の体と心で直接味わうことの良さというのをつくづく感じた年だった。

 

東京も一度離れたからこそ良さを再認識したし、こんなに歴史と文化豊かで楽しい場所だったんだなと。来年東京に戻ったら、もっともっと東京を味わいながら過ごそうと思う。地方ももっとあちこち行ってみよう。

 

ということで、1つ目の理由は「移動」の「動」。

 

***

②運動を始めた

 

1月にキックボクシングのジムに入会。

 

2024年は新しい環境に適応するのに必死で何か新しいことを始める気持ちの余裕が全く無く、運動しないまま1年が終わった。国試を言い訳に専門学校3年の夏からテコンドーも休んでいたから1年半以上運動していなかった。これではイカン、と思っていた矢先、ネットで適当に選んだ美容院に行ったら向かいにキックボクシングのジムがあって、そのままそこに入会した。

 

ジムに入って良かったこと。

 

その1.運動習慣を取り戻した

その2.体力維持(目下努力中。訪問でチャリこぎまくれるように持久力つけねば)

その3.運動するとリフレッシュできる

その4.職場以外の人間関係ができた

 

少しでも運動するようになったのも良かったけど、一番良かったのは職場以外の人間関係ができたことだと感じている。

 

地方に引っ越してきて去年一番戸惑ったのはこっちで友達も知り合いもできないことだった。行きつけの店を作ったりイベントに参加したりすれば良かったのかもしれないが、行きつけを作るほど外に出たい気持ちも起こらず、「友達を作るためのイベント」で友達ができる気もしなかった。勉強会などがあれば同業の仲間もできそうだが、この地ではオープンな勉強会はほとんどない。職場の同僚と仲はいいけれど友達ではないし、そもそも狭い治療院で四六時中一緒にいるのに休みまで一緒に過ごしたくないというのは全員共通の思いである。どうせ2年でこの地を去る…という思いもあってわざわざ新たな人間関係を築く努力もする気になれなかった。

 

その点、キックボクシングジムというのは皆それぞれに運動する場所でありながら、ペアでの練習もあり、練習に行けば必ず誰かいてちょっとした世間話をしたり共にトレーニングに励んだりといったコミュニケーションもある。練習が目的なので深い人間関係を築く必要はなく、だからと言って全く関わらないわけでもなく、本当に全てがちょうど良い。

 

そして、運動をしている人というのは「難しい顔」や「恐い顔」をしない。私はリフレッシュくらいの気持ちでしか通っていないから知らないだけで試合に出たり事務的な部分ではもしかしたら色々あるのかもしれないが、ジム内の人間関係は基本的に風通しが良くて、とにかく爽やかだ。真剣な表情はするけれど、それ以外はみんなニコニコしている。笑顔が与える安心感というのはとてつもなく大きい。

 

職場はどうしても色々起こるので神経質になりがちだけれど、ジムではそんなことは全て忘れられる。メンタルでしんどいことが一つもない。それがとても心地良い。

 

昔、大学の先輩が「運動は“運“を“動“かすと書く。運を動かしたかったら運動しろ」と言っていたけれど、この言葉は正しいと思う。停滞している時に無理矢理にでもジムに行くとなんとなくスッキリする。年の初めにジムに入会したのはかなり良い選択だった。

 

ということで、2つ目の理由は「運動」の「動」。

 

***

③自分で動くしかない

 

鍼灸師2年目。初めてがいっぱいであった。

初めて担当を持った。引き継ぎ。学会で発表。登録販売者試験。

 

初めてその1.担当を持つ

担当を持つのはとても緊張した。1年目はベッドサイドだけだったのでどこか気楽だった。自分が全てを担当するというのはとんでもない緊張感で、それは今も変わらない。患者は一人一人全員違うのに、慣れるということはあるのだろうか。当たり前だが見るのとやるのは大違いで、ベッドサイド期間の意味を担当を持ってようやく理解する有様。全てがまだまだだと思う。少しずつ。ただ、かつて先輩が言っていたように「度胸だけはついた」とは思う。

 

初めてその2.学会発表

2年目からは学会発表が必須なので学会にも出た。出なくて済むなら出たくなかったが仕事の一環なのでやるしかない。当たり前だが、ボーッとしてたら誰かが準備してくれるなんてはずもなく、自分でやるしかない。やるしかないと思ったらどうにかなるもので、なんとか形になって無事に発表できた。ポスター発表だと思って準備していたらほぼ完成したタイミングで上司から「あなたは口頭発表になっていますよ」と言われ、泣きそうになった。ポスターの内容をそのままパワポに貼れば良いと言われてやってみたら、全くスライドの体を成さずとんでもない物が出来上がってまた泣きそうになり、結局最初から作り直した。ポスターに収めるのも相当苦労したのに自分の確認不足で余計な精神の動揺と労働をしたと言える。でも本番当日でなくて本当に良かった。本番で発覚していたら大惨事な上に大恥をかくところだった。上司が気付いてくれて本当に良かった。2年間で一番感謝してます(本当はもっと色々あるけどとりあえず)。

 

初めてその3.市民講座(のようなもの)

引き継いだ仕事。自分にできるかなと思ったが引き受けた以上やるしかないのでとにかくやった、という感じ。勉強になった(詳細は、カッツ・アイ!※NHK『LIFE!』のネタ)。

 

初めてその4.登録販売者試験

登録販売者試験も厄介だった。実は専門学校3年の時に受験して落ちたことがある。あはきの国家試験と並行して勉強できずノー勉で行ったら午後の試験が1問も分からず落ちた。なので実は「初めて」というのは嘘である。ただ合格したのは「初めて」なのでここに加えさせてほしい。勉強していないから落ちて当然なのだが当時とても情けない気持ちになった。同時期に同じく国試を控えながらも合格していた鍼灸学生がいて、SNSで見たそれらの報告が更に情けなさを増幅させた。新卒で入った職場で登録販売者の資格を持っていないのは自分だけで、ボスから何度も「自分も薬種商(登販の以前の名称)持ってるよね」と言われ、その度に「持ってません…」というのも情けなかった。

 

簡単な資格と言われ鍼灸師でも合格者が多い登販だが私には難しかった。漢方薬はなんとなく分かるものの西洋薬の成分がどうしても覚えられず難儀した。別に登販取っても漢方売るわけじゃないしもう勉強辞めたい…と思うこと数十回(多いな)。しかし試験のために有給を取っていたこと、職場で受けると宣言してしまったこと、受験料1万5千円を支払ったことなどが勉強を放棄することを私に許さなかった。このまま勉強してもしなくても有給も1万5千円も戻ってこないのだ。そして自分以外は皆受かっている試験に落ちたら「なんで落ちたの」と全員から言われるに決まっている。言われなくても絶対みんな思うはずだ。ならばやるしか道は無い。そう思ってとにかく勉強した。直前に他県に行く予定が入り気が気じゃなかったが、とりあえず参考書持参で移動中も勉強した。

 

またその頃たまたま初めて漢方内科を受診したところ柴胡加竜骨牡蠣湯が処方され、それを飲み始めたら何故か集中力が爆上がりして全く進んでいなかった問題集が3日で1冊終わった(これを私は合法ドーピングと言っているが、別に集中力を上げるために処方してもらったわけではないのでたまたま私の状態と漢方が合っていただけと思われる)。

 

結果、損をしたくない気持ちと落ちた言い訳をしたくない気持ちと漢方による謎の追い風のおかげで無事合格した。

 

 

長くなったが、担当を持つのも学会も市民講座も登販合格も、他にも色々、自分に出来るのかなと思うようなことが数々あったが、とにかく全て「自分で動くしかない」と思って取り組んだ年だった。何を当たり前な…と思われるかもしれないが、自分の人生、自分の仕事、「動かすのは自分だ」ということを何度も思った。という理由で「動」。

 

***

鍼灸師になって2年目、職場も同じところで2年目ということで全体像が少し見えたことも2025年自由に動けた理由じゃないかなと思う。

 

2026年はまた東京に戻って全く新しい環境でイチからスタートになる。地方生活は残り2ヶ月半。

 

2025年の「動」の力も引き継ぎながら、2026年を切り拓いていきたい。

続・断捨離

このところ、週末の度に物を少しずつ減らしている。2ヶ月くらい前にも思い立って本を少し手放したが、まだまだ物が多いと感じる。(本棚の中身などの話 - Blog 1/445

 

地方での生活も今年度いっぱい、残すところ3ヶ月となり、東京に戻る日も現実に迫ってきた。東京は家賃が高い。私が借りられるような物件は広さも収納スペースも限られてくるだろう。地方生活中に増やしてしまった本、その他も厳選していかなければ生活スペースが無くなってしまう。

 

とは言え私が手放せる物と言えば、書籍、ノート、衣類、食器くらいしか思いつかない。家財はベッド、机、椅子、冷蔵庫と洗濯機と電子レンジがあるけれど、さすがにこれらは処分できない。ベッドも机も椅子も無しで一時期生活していたこともあったが、あまりに不便過ぎて自分には合わなかったので観念してやめてしまった。冷蔵庫も電子レンジも洗濯機も、自分の経済力を考えると自炊したり家で洗濯したりする方が安く済むのでこの3つも手放せない。

 

衣類はかなり手放したが、食器は作家物を集めていてどれも手放し難い。となると残るは本とノートしかないので、少しずつ手放せそうな物をフリマサイトに出してみたり、もう売れないような状態の物や読み返さないであろうノートは古紙回収に出してみたり。あとは使っていない文具とか、歴代のアップル製品の箱(なぜか空き箱を全部保管していた)も処分した。細々した物も集まるとそれなりの量だったのでそれだけでもだいぶスペースができた。

 

前回の本の処分では専門書を手放すのを惜しがったけれど、此度は持っていても全く読んでいないし使ってもいない物に思い切って手をつけた。本棚にも少しスペースができた。

 

そうそう、大事な家財の一つ、本棚を忘れていた。

 

この本棚、先日の断捨離中に突如棚に嵌まっていた仕切りが外れて本が落ちてきた。明らかに積載量を超えて本を詰め過ぎたせいか、湿気で木材が撓んだのか。その後仕切は嵌まらなくなってしまった。仕方がないので本は適当に積んだままになっている。

 

この本棚を処分してから引っ越すか、一旦持っていって壊れたなりに工夫して(どうやって?)使い続けて後々どうするか考えるか、が最近の悩みである。

本棚の中身などの話

今日午後出掛けるついでに古本屋に行ってもう読まない本を売ろう、と突然思い立ち、本棚やベッド下の収納ボックスからもう手放しても良いと思う本を引っ張り出した。

 

フリマサイトなどで売れば古本屋より多少高くなりそうだけど、もう面倒くさくて、それよりも一刻も早く1立方センチメートルでも部屋の中の物を減らしたい気持ちが先走って、捨てるよりはましだろう古本屋というチョイス。

 

「塊」になるくらいの本を引っ張り出した。これらは手放すのだ。

 

これでずいぶん隙間が出来たかなと本棚を見ると、全く隙間は無い。溢れていた分が少し減ったくらいにしかなっていない。

 

では何が多いのかと見てみると、専門書が圧倒的に多く、しかもどの本もデカイか厚いかデカくて厚い場所を取るものばかり。

 

中には殆ど読んでないものもあって、これらは手放してもいいか?と思うが、なんせ元の値段が高い。必要になった時に再び購入出来る経済的な自信がない。他にも絶版になってるものやプレミアがついているものもあって、今読めないけど手放すのは惜しい。

 

専門書の手前のような本も結構ある。それらは読むことで考えが深まると感じるものが多い。ただ専門性もやや高く、しかも概念的なこと、正解がないテーマのものがほとんどなので、一度通読しただけでは内容を自分に落とし込めるほど読み込めていないと感じている。だから時期を見てもう一度読みたいし、折に触れて読み返すことで新しい気付きがありそうだから手放せない。あとこれらは機会があれば人に貸して一緒に読むことで新しい視点ができたりする本だとも思う。そんなわけでこれらも手放したくない。

 

こうなってくると必然的に、手放しの候補は一般書や漫画になってくる。

 

だけどこれらも手放し難い。

 

一般書や漫画は専門書と違ってどれも一度は読み通している。でも気に入ってるから図書館で借りるなどせずに購入して手元に残しているのだ。

 

それらは読むと気付きがあったり、心が安らいだり、楽しかったりする。

 

休みで家に居る時、夜眠れない時、移動時間が長い時、これらの本はお供になってくれる。

 

何度も読んで内容を覚えている本も多いけど、文体そのものが心地良かったりして同じものでも何度も読みたくなる。それは、お気に入りのアーティストの歌をもう知っているのに何度も繰り返し聴くことと似ていると思う。

 

もしこれらを手放してしまったら、ちょっと本を読みたい時、少しだけ誰かが書いた文章に触れたい時、手に取る本が無くなってしまう。もし実用性だけを重視して専門書ばかり残してしまったら、その本棚のなんと味気ないことか。学校や職場の本棚ならそれでもいいかもしれないが、自宅の本棚でそれはなんとも寂しい。専門書しかない本棚に私は魅力を感じられない。それは、頭には栄養をくれるけど心にはくれないような本棚だと思う。

 

好きな本は心を豊かにしてくれると思う。かさかさすることが多い日常で心に潤いをくれるものが専門書以外の本達で、これらがそばにあっていつでも好きな時に好きなページを開いて読めることが私にとってセルフケアの一つなのだ。

 

 

…と、またこんな長い言い訳をしつつ、それでも少しでも、読まない本は手放そうという気持ちで、今日の午後古本屋に大量の本を運び込もうと思う。

 

昨日まで涼しかったのに、今日は暑いんだよなぁ。

自分の店を持ちたいとかそういう話

開業したいな、という気持ちはそんなに無いけれど、色々な大義名分や言い訳で、人を自分が好きな物で埋め尽くされている空間に呼びたいな。

 

本や食器、美味しいものがあって、ただただ好きなように時間を過ごす場所。

 

鍼灸院というよりカフェだな、これは。

 

でも、お灸とかするのも受けるのも好きだから、お灸が受けられて、本が読めて、美味しいお茶が飲める場所がいいな。

 

別に開業しなくてもいい。ただ自宅に来てくれるだけでいい。でも家に人を入れることや人の家に入ることは、私が想像するより一般的には心理的なハードルがあるみたいだし、狭いワンルームでは流石に全てが開けっぴろげになってしまうから私もちょっとだけ抵抗がある。

 

開業と称して場所を作ってしまえば、そこは私には仕事の場、公の場に一応なるし、来る人も変な気を遣わないで堂々と中に入れる。

 

だから開業したい。こんな理由で開業権使おうという人はあんまりいないだろうか。

 

どのみち、まずは自分の生活をどうにかしないといけないから、こんなことは夢のまた夢で、買ってもいない宝くじが当たらないかなと、妄想を加速させる。