Blog 1/445

日常の些事。

焼物の魔力

地方に住み始めてハマった物の一つに、焼物がある。

 

きっかけは春に行った焼物市だった。引っ越しの時にだいぶ食器を処分したものの、生活するのには事足りる位は持っていたのでその日食器を買うつもりは全く無かった。引っ越したばかりのこの地での新しい生活に早くも閉塞感を感じ始めていた時期でもあったので、祭りのようなそのイベントに行ってみてリフレッシュしたいという気持ちで足を運んだのだった。食器よりも焼物市のついでに出ているであろう屋台のツマミや、昼間から飲むことになるであろうビールを楽しみにしていた。

 

 

会場の駅前通りでは、道を目いっぱいに使って、焼物作家さん達が自分たちの作品を売っていた。私は焼物と言うとなんとなく、おばあちゃんの家で煮物でも盛られて出てきそうな、昭和レトロといったようなデザインを予想していた。しかしそこに並んでいたのは北欧を思わせるような洗練されたデザイン、古臭さやダサさなど微塵も感じさせない美しく洒落た食器たちで、私は衝撃を受けた。

 

全て手作業で作られる焼物は一つ一つが作品であり、量産品の食器とは違って値段が高い。本来なら手が出せない物が多いのだが、この日はイベント出品のため普段百貨店などには出回らない2級品、B級品と呼ばれる作品が私でも手が届く価格で売られていた。それらはちょっとしたキズや歪み、模様のズレなどがあるのだが、素人目に見るとそこまで気にならないし、一つ一つが手作りなのでそれさえもその器の味わいのように感じられて素敵だと思った。

 

見れば見るほどどれも素敵で、買うつもりは1ミリも無いという思いはあっという間にどこかへ吹き飛んでいった。一つくらい何か買ったっていいじゃないか。

 

この地に住んだ記念にマグカップを一つだけ買おうと決めて、散々悩み数時間かけて幾つもの店を往復した末に一番気に入ったデザインのマグカップを厳選して一つだけ買った。2,400円だった。これまでの人生で買ったカップの中で一番高かった。翌日も休みだったので、明日の朝はこのカップでコーヒーを飲もうと決めてその日は眠りについた。

 

 

翌朝。休みの日なのでいつもより長く寝ていたいと思うところ、この日は「あのマグカップで朝のコーヒーを飲む」という予定が楽しみで、仕事に行くのと同じ時間にベッドから飛び出した。そして決めた通りそのマグカップでコーヒーを飲んだ。

 

そうすると、どうだろう。これまでのどんなコーヒーよりも、そのコーヒーが美味しく感じられた。豆はいつもと同じ、スーパーで買ってきたただの豆である。淹れ方も変えていない。自分が気に入った器で飲むだけでこんなに幸せな気持ちになれるのかと思った。付け加えると気分の問題だけでなく、カップの縁の口当たりがとても良い。ぽってりとなめらかで優しい感じがするのだ。器の重み、手にしっとりと馴染む感じも、これまで使ってきた器とハッキリと違う気がした。指先や手、唇というのは人体でも感覚が敏感な部分なのでより違いを実感しやすいのかもしれない。

 

ともかく、たった一口のコーヒーを飲んだその瞬間、私は焼物の沼にハマってしまった。

 

もっと欲しい。この使い心地をもっと楽しみたい。

 

そう思った私は焼物市が2日連続で開催されていたのをこれ幸いと出掛けて行き、新たに食器を物色し始めた。しかし元々食器を増やす予定ではなかったのもあって買うべき物をなかなか決められない。急な出費にもなるので無闇に買うことはできない。この日も散々迷った挙句、晩酌用にとても美しいお猪口と、カレー以外にも使えそうなカレー皿を1枚だけ買った。

 

 

この日から、マグカップ、カレー皿、お猪口をしつこいくらい使い続けた。使っても使っても飽きなかった。私の作る大したことない手抜き料理も、スーパーで買った安い豆で淹れたコーヒーも、一人で寂しく飲む日本酒も、この日買った器に入れるとどれもとても美味しそうに見えて食事が楽しくなった。食べている最中も器の模様や形を見るとうっとりする。食べ終わった食器を見ても、いい器だなぁ、好きだなぁと思う。流しに置いても絵になる気がするし、それを洗ったり拭いたりしている時間も好きな時間になった。拭きながら器の感触を手で確かめて一人でニヤニヤする危ない奴になっていった。

 

 

どんなに使っても飽きないとは言ったものの、マグカップとカレー皿とお猪口では、使える料理や飲み物が限られてくる。普段食べるおやつやフルーツ、他の料理でも使える器が欲しいと思うようになった。

 

好きなデザインの好きなサイズの器を思うままに買えたらどれだけ幸せだろう。そんなことを思うようになった。しかし正規品を店で買うのは今の自分の経済状況では厳しいものがある。年内にもう一度焼物市が開かれるという噂を聞きつけた私はその知らせを待ち焦がれるようになった。その日が来たらどんな器を買おう、どの作家さんのところに行こう。料理や食事の度にそんなことを考えてはネット上に開催のお知らせが出ていないか確認する日々が続いた。

 

本当に開催されるのか、そろそろ案内が出てもいい頃ではないかと気を揉み始めたある日、地域の広報誌に焼物市開催の案内が載っているのを見つけた。何が何でも必ず行くと決めて、絶対に他の予定を入れないように気をつけながらその日を迎えた。

 

 

焼物市当日は大変な賑わいであった。春の時よりも出店数が多く、どこから何を見て行ったらいいのか分からなくなるほど大量の焼物がずらりと並んでいた。今回は予算も設定し、欲しい器の種類も決めてきたので、目標を定めつつ、1軒1軒全ての店を見て回った。イベントなので焼物作家さんのインタビューなども行われていて、作品造りへのこだわりが会場中に響き渡っている。あの作家さんはこういう想いでこの器を作ったのか、こういう経緯で焼物作家になったのか、こういうことが好きでこのデザインが生み出されたのか。背景を知るとますます愛着が湧く。器は日常で使われる道具でありながら作品なのだと思うと、芸術や工芸というのは美術館や博物館で眺めるためだけでなく生活の中にもあるのだなと感じる。

 

一人で行ったため止める人も無く、気づけば6時間近く器を物色して11個もの作品を買っていた。今回は器だけでなく箸置きなどの小物も買った。前回気になったけど衝動買いは良くないと思って諦めた作家さんの作品も今回は思い切って買った。たくさん買ったもののイベント価格で買ったので無事予算内に収まった。本当に「心ゆくまで」という言葉の通り好きなだけ焼物を見て触れて比べて買って、楽しい時間だった。焼物の性質上11個も背負うとさすがに重たかったが、心満たされる重みだった。山の上で開催されたので斜面を何度も登り降りして膝も痛くなったけど、そんなことは気にならないくらい楽しかった。

 

 

あれから毎日焼物で食事をして飲み物を飲んでいる。その一回一回がとても楽しくて豊かな気持ちになる。食事が楽しく、自分の作った手抜き料理も美味しく見えて食欲がそそられて、つい食べ過ぎてしまうことだけが悩ましい。