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日常の記録。

D-28

定期試験の解説授業が3コマ。

 

3コマ、つまり一日中授業があるのは今日が最後。国試も控えてるし、どの授業も先生が割とみっちり解説や授業をしてくれた。

 

社会学の先生の授業、愛溢れてて泣きそうだった。でも教室で泣いたら先生も周りも絶対困るから我慢した。というかまだ国試も終わってないのに、今から寂しがっててどうするんだ。それにしても先生は、なーんであんな人格者なんだろうか…厳しい世界に居たからかな。先生の授業からは、ヒトっていう生物の尊さをたくさん教えてもらった気がする。「命」への愛がある先生だと思う。

 

放課後は、あん摩の試験がある同級生の練習に付き合った、揉まれ役。その後ラウンジでちょっと勉強。あましの31回やった。

 

***
現状。何もかも宙ぶらりんだ。

 

研修受験の結果はまだ来ない。もう受験は終わってしまったけど、未練が残る。研修に行きたいけど、期待しても結果は分からないし、がっかりしたくないからあんまり考えないようにしてる。

 

東京に残るとして、就職面接も受けるけど、その際は仕事と別で卒後研修を受けるつもりだった。だけど状況が少し変わってしまって今すごく迷っている。

 

仕事も決められない。研修先も決まらない。だから住む場所も決められない。自分の腹が決まらない。国試の後、自分がどこで何をしているか自分でも分からない。研修受験の結果は自分ではもうコントロールできないけど、それ以外は基本的には自由だ。国試に受かって免許さえ取れれば、ずっとやりたかった「人を揉む」仕事ができる。好きなところに住んでいい。私を縛るものは何もない。

 

だけど、縛るものも無い代わりに、拠り所になる場所も無い。

 

例えば家族だとか、煩わしさもあるかもしれないけれど、そういう「何か◯◯があるから、こうしよう」みたいな判断する時に半ば強制的に軸に据えるものが今の私には何も無い。それを寂しいとか悲しいと思ってしまうのは最近観ているドラマのせいなのだろうか。

 

学校やバイト先で人に囲まれて生活してて、家族が欲しいと思っていた気持ちが薄れてたけど、なんか最近またぶり返してきてる。家族って、煩わしさもあるけど、それでも好きだと言える家族、居なくなったら悲しい、離れたら寂しいと思える家族がいるってきっと幸せなんだろうなと思う。友達や同僚や仲間は、いくら密に過ごしても、家族じゃないもんな、と、思ってしまうと寂しい。家族って、離れてもまた会えるもんね(大体は、多分)。友達や同僚や仲間っていうのは、離れたら会えないかもしれないし、しがらみが無い分強制力も無いから。友達や同僚や仲間の「一番」はその人達の家族であって、家族じゃ無い人はその人達の「一番」の優先順位には一生上がらないもん。寂しい。でもいいんだ。寂しい位がきっとちょうどいい。麻雀の漫画の登場人物がそう言ってた。

 

話がすんごい逸れた。

 

とにかく、状況が宙ぶらりんで、何も決まってない中で、次々と色んなことの「最後」が訪れる毎日が、今すごく寂しい、怖い、不安な気持ち。

 

だけど国試には絶対受からないと、ますます意味が分からなくなるから、とにかく今は何も考えないで国試で点を取ることだけ考えたい。

 

他のことは、国試が終わってから考えよう。