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日常の記録。

依存

唐突だが、私はテレビを持っていない。もう7年くらい経つと思う。理由は色々あるが、一番は「決まった時間に一定時間テレビの前にじっとしていられないから」というのが大きい。

 

やりたいことがいっぱいあって予定も毎日違うのに、放送時間に合わせて帰宅して放送中ずっとテレビの前にいるというのがどうしても自分にはできない。

 

調べたことはないが、日本のテレビは間に入るCMも多い気がする。1時間の放送枠の中で何分CMなの?と思う。CMの度に席を立って、番組が再開するのを気にしながら家事などを済ませるというのも落ち着かない。

 

今の時代はテレビが無くてもスマホタブレットで配信としてテレビ番組を観られるから、テレビが無くても別にいいのだ。

 

しかし、テレビを持たなくなって、世の中のなんとなくの流れがよく分からなくなった。SNSなどを通してもニュースは目に入ってくるが、自分で調べないと詳しいことはわからない。新聞も取っていないので、テレビを流しっぱなしにして得られるような「世の中の大体の出来事」に疎くなった。それは例えば、世間を震撼させるような事件であったり、芸能人の結婚だったり、国の方針の何かであったり、世間で盛り上がっているスポーツイベントだったり、そういったことに疎くなった。

 

さすがにそれはまずい気がして、数年前からスマホのアプリでラジオを聴くようになった。ラジオは耳だけ向けていればいいだけなので、場所や行動に縛られずに情報に触れられて良い。「お便り」という形での視聴者との交流も、ブログやTwitterのような文章でのSNSが好きな自分にはフィットした。

 

しばらくラジオを聴いていた。

 

しかしこの前の冬くらいから、私はラジオもあまり聴かなくなった。色々な情報が自分に入ってくるようになって、それらを頭の中で処理しきれず疲れてしまい、家にいる時外部からの情報を遮断したいと思うようになったためである。

 

日常的に世の中の情報に触れなくなって一番影響がありそうなのは天気予報だった。

 

しかし今、意識してGoogleで調べない限り私は天気予報を見ずに生活しているが毎日大体どうにかなっている。

 

では毎日の服装、洗濯、雨具を持っていくかどうか、それらをどう決めているかというと、週1回、土曜日に行くデイケアのバイトでの利用者さん達からの情報だけで決めているのであった。

 

利用者さん達は天気に詳しい。その日の天気、週間予報、今シーズンの花粉の飛散状況や桜がいつどこで咲くかまで熟知している。

 

みんな天気の話は何かしらするので、入浴介助をしながら利用者さん達やスタッフとのおしゃべりをなんとなく聞き、また私に天気を教えてくれる方もいるので、たくさんの利用者さん達の話を総合して「今日はこれからどうなって、明日からの1週間は大体こんな感じ」とアタリを付けてそれで1週間過ごしている。

 

それで大体うまく行っていたのだが、先日有給を取って日向坂のライブに行ったため、その翌週の天気が分からないという事態に陥った。

 

雨が降る日に私は傘を忘れ、人から傘を借りるハメになった。

 

天気予報を完全に利用者さんに依存しているのは良く無いと思いつつ、スマホもあるのに今日も私は天気予報をロクに見ないのだった。

 

訪問で仕事するようになったら自発的に見るようになると思う、多分。