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日常の記録。

寿司を食べながら

唐突だが、今日の夕飯は値引き品の海鮮丼である。

 

私は寿司や刺身が好きなので、刺身と日本酒があってダラダラ呑めれば大体気分がいい。

 

でも最近ちょっと飲み過ぎなので今日は休肝日だ。

 

食べながら、先日ラジオで聴いた「好きなアイドルが寿司好きだから自分も彼女が好きだという寿司を食べたいが生魚が駄目でどうしても食べられない」というお便りを思い出していた。

 

世の中には生魚が苦手な人が結構いる。嫌いまではいかなくてもそこまで積極的に食べるほどではないという人も多いと思う。

 

だけど意外と、相手が生魚を食べられるかどうか知る機会はない。例えば毎日一緒に過ごしているクラスメイトのうち、生魚が食べられない人がどのくらいいるか知らない。

 

今は別に知らなくても良いのだが、私には「自分の葬式をプロデュースしたい」という長年の目標があって、その中には仕出し弁当を何にするかという大事な要素が含まれている。

 

辛気臭い場になりそうなところ、美味しく元気に食事をしてもらって、集まった人同士でプチ同窓会的に楽しんでもらい、来てよかったな〜、と帰ってもらいたいのだ。出棺の曲や祭壇の花の種類、墓をどうしたいかまで決めているけど、そんなことより仕出し弁当が一番大事である。

 

そして本来ならばここで、私の好物の寿司を出したい。

 

しかし上に書いたように、参列してもらいたい人達が鮮魚食べられるか問題というのがあって、寿司は早々に候補から外された。生魚は、駄目な人は本当に味も匂いも駄目らしいので、そうなるとその人達が食べられるものがなくなってしまう。寿司が食べられない人は参加出来ませんというのは寂しいし、大体そんな葬式聞いたことがない。

 

今の所、有力な候補は叙々苑の焼肉弁当か今半のすき焼き弁当だ。これなら食べられない人はほとんどいないはずだ。

 

立食パーティーも考えていたけど、コロナが流行し始めてからこれもアイデアから外された。楽しそうだけどね。

 

昔は、自分の葬式なんて誰も来てくれないだろうと思っていた。でも今は呼んだら結構人が集まってくれるんじゃないかなと思うようになった。不謹慎だけど結構楽しそうだと思う。

 

出来るだけ今くらいの人数が集まってくれるように人生をキープしつつ、逝く時は楽しく逝きたい。

 

死んでからも聴覚は最後まで残るという。そんなに何時間も続くはずはないから葬儀の時まで聴こえているとは思えないが、願わくばみんなの楽しい話をたくさん聞きながら燃えていけるような、そんな最期を迎えたい。