毎年恒例、私の「今年の漢字一文字」。
今年も無事に決まりました。
2025年の漢字の前に、
歴代の「今年の漢字一文字」を振り返りましょう。
2018年は「削」
(まだブログやってなくてリンク貼れる記録がない)
2019年は「転」
【455】2019年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445
2020年は「繋」
【91】2020年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445
2021年は「恵」
2021年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445
2022年は「初」
2022年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445
2023年は「乱」
2023年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445
2024年は「変」
2024年・私の「今年の漢字一文字」 - Blog 1/445
なんの気無しに始めた「今年の漢字」も今年で8個目と思うと感慨深い…って、こんなこと言うのは10個目くらいか。感慨深さの前借りをしてしまった。
ところで毎年漢字を決める時期はバラバラで、年末ギリギリまで決まらない年もあれば年明けになってから書き始めるなんてこともあるのだけれど、今年はなんと11月の時点で決まっていた。
気になりますよね?気になりますよね〜ッ!?(煽)
それでは発表します!!
〜ドラムロール〜(※毎年一人で盛り上がる設定なのでお付き合いください)
記念すべき2025年の私の漢字は…!!!
〜ドラムロール〜
ダンッ!
「動」です!!!!!
〜拍手と歓声〜
それでは採用理由に参りましょう。
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※ここからは通常テンションでお送りします、茶番は終了です。
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①移動が多かった
シンプルに、今年は移動が多かった。大阪2回、名古屋1回、広島2回、東京3回。
しょっちゅうあちこち行く人からしたら少ないほうかもしれないが、これまで年2回くらいしか旅行に行かなかった私からするとまぁまぁな回数だった。時期をならしたら2ヶ月に1回のペースでどこかに行っていたことになる。一番詰まっていたのは10月11月で、隔週で広島→広島→大阪と、我ながらハイペースであった。
内訳としては勉強会、人と会う、学会、ライブ。こうして振り返ってみると、この移動回数は地方に住んでいるからだなという気がしてきた。会いたい人の多くは東京にいるし、勉強会も東京開催が多く、地方の仲間も東京で会えることしばしば。ライブも東京公演は必ずあるから東京で行く。学会は毎年場所が変わるのでなんとも言えないが、他県でやる支部会とかは今の職場でなければ参加する機会がなかったと思うからこれもやっぱり地方にいるからなんだろうと思う。
元々あまり動かないで一処でじっとしていたいタイプなのでこの移動量は自分史上初だった。基本的に誘われれば行くが、自分の意志で行くと決めて自分で準備して動くのがこんなに多かったことはない。
だけど今年あちこち行ってみて思ったのは「動くの楽しい!」だった。
特に広島は2度とも本当に素晴らしい時間だった。こんなに楽しい時間が自分の人生にあったのかと思うくらい楽しかった。
広島の思い出はまた別に書くとして、月並みな言葉だが、なんでも自分の目で直接見る、自分の体と心で直接味わうことの良さというのをつくづく感じた年だった。
東京も一度離れたからこそ良さを再認識したし、こんなに歴史と文化豊かで楽しい場所だったんだなと。来年東京に戻ったら、もっともっと東京を味わいながら過ごそうと思う。地方ももっとあちこち行ってみよう。
ということで、1つ目の理由は「移動」の「動」。
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②運動を始めた
1月にキックボクシングのジムに入会。
2024年は新しい環境に適応するのに必死で何か新しいことを始める気持ちの余裕が全く無く、運動しないまま1年が終わった。国試を言い訳に専門学校3年の夏からテコンドーも休んでいたから1年半以上運動していなかった。これではイカン、と思っていた矢先、ネットで適当に選んだ美容院に行ったら向かいにキックボクシングのジムがあって、そのままそこに入会した。
ジムに入って良かったこと。
その1.運動習慣を取り戻した
その2.体力維持(目下努力中。訪問でチャリこぎまくれるように持久力つけねば)
その3.運動するとリフレッシュできる
その4.職場以外の人間関係ができた
少しでも運動するようになったのも良かったけど、一番良かったのは職場以外の人間関係ができたことだと感じている。
地方に引っ越してきて去年一番戸惑ったのはこっちで友達も知り合いもできないことだった。行きつけの店を作ったりイベントに参加したりすれば良かったのかもしれないが、行きつけを作るほど外に出たい気持ちも起こらず、「友達を作るためのイベント」で友達ができる気もしなかった。勉強会などがあれば同業の仲間もできそうだが、この地ではオープンな勉強会はほとんどない。職場の同僚と仲はいいけれど友達ではないし、そもそも狭い治療院で四六時中一緒にいるのに休みまで一緒に過ごしたくないというのは全員共通の思いである。どうせ2年でこの地を去る…という思いもあってわざわざ新たな人間関係を築く努力もする気になれなかった。
その点、キックボクシングジムというのは皆それぞれに運動する場所でありながら、ペアでの練習もあり、練習に行けば必ず誰かいてちょっとした世間話をしたり共にトレーニングに励んだりといったコミュニケーションもある。練習が目的なので深い人間関係を築く必要はなく、だからと言って全く関わらないわけでもなく、本当に全てがちょうど良い。
そして、運動をしている人というのは「難しい顔」や「恐い顔」をしない。私はリフレッシュくらいの気持ちでしか通っていないから知らないだけで試合に出たり事務的な部分ではもしかしたら色々あるのかもしれないが、ジム内の人間関係は基本的に風通しが良くて、とにかく爽やかだ。真剣な表情はするけれど、それ以外はみんなニコニコしている。笑顔が与える安心感というのはとてつもなく大きい。
職場はどうしても色々起こるので神経質になりがちだけれど、ジムではそんなことは全て忘れられる。メンタルでしんどいことが一つもない。それがとても心地良い。
昔、大学の先輩が「運動は“運“を“動“かすと書く。運を動かしたかったら運動しろ」と言っていたけれど、この言葉は正しいと思う。停滞している時に無理矢理にでもジムに行くとなんとなくスッキリする。年の初めにジムに入会したのはかなり良い選択だった。
ということで、2つ目の理由は「運動」の「動」。
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③自分で動くしかない
鍼灸師2年目。初めてがいっぱいであった。
初めて担当を持った。引き継ぎ。学会で発表。登録販売者試験。
初めてその1.担当を持つ
担当を持つのはとても緊張した。1年目はベッドサイドだけだったのでどこか気楽だった。自分が全てを担当するというのはとんでもない緊張感で、それは今も変わらない。患者は一人一人全員違うのに、慣れるということはあるのだろうか。当たり前だが見るのとやるのは大違いで、ベッドサイド期間の意味を担当を持ってようやく理解する有様。全てがまだまだだと思う。少しずつ。ただ、かつて先輩が言っていたように「度胸だけはついた」とは思う。
初めてその2.学会発表
2年目からは学会発表が必須なので学会にも出た。出なくて済むなら出たくなかったが仕事の一環なのでやるしかない。当たり前だが、ボーッとしてたら誰かが準備してくれるなんてはずもなく、自分でやるしかない。やるしかないと思ったらどうにかなるもので、なんとか形になって無事に発表できた。ポスター発表だと思って準備していたらほぼ完成したタイミングで上司から「あなたは口頭発表になっていますよ」と言われ、泣きそうになった。ポスターの内容をそのままパワポに貼れば良いと言われてやってみたら、全くスライドの体を成さずとんでもない物が出来上がってまた泣きそうになり、結局最初から作り直した。ポスターに収めるのも相当苦労したのに自分の確認不足で余計な精神の動揺と労働をしたと言える。でも本番当日でなくて本当に良かった。本番で発覚していたら大惨事な上に大恥をかくところだった。上司が気付いてくれて本当に良かった。2年間で一番感謝してます(本当はもっと色々あるけどとりあえず)。
初めてその3.市民講座(のようなもの)
引き継いだ仕事。自分にできるかなと思ったが引き受けた以上やるしかないのでとにかくやった、という感じ。勉強になった(詳細は、カッツ・アイ!※NHK『LIFE!』のネタ)。
初めてその4.登録販売者試験
登録販売者試験も厄介だった。実は専門学校3年の時に受験して落ちたことがある。あはきの国家試験と並行して勉強できずノー勉で行ったら午後の試験が1問も分からず落ちた。なので実は「初めて」というのは嘘である。ただ合格したのは「初めて」なのでここに加えさせてほしい。勉強していないから落ちて当然なのだが当時とても情けない気持ちになった。同時期に同じく国試を控えながらも合格していた鍼灸学生がいて、SNSで見たそれらの報告が更に情けなさを増幅させた。新卒で入った職場で登録販売者の資格を持っていないのは自分だけで、ボスから何度も「自分も薬種商(登販の以前の名称)持ってるよね」と言われ、その度に「持ってません…」というのも情けなかった。
簡単な資格と言われ鍼灸師でも合格者が多い登販だが私には難しかった。漢方薬はなんとなく分かるものの西洋薬の成分がどうしても覚えられず難儀した。別に登販取っても漢方売るわけじゃないしもう勉強辞めたい…と思うこと数十回(多いな)。しかし試験のために有給を取っていたこと、職場で受けると宣言してしまったこと、受験料1万5千円を支払ったことなどが勉強を放棄することを私に許さなかった。このまま勉強してもしなくても有給も1万5千円も戻ってこないのだ。そして自分以外は皆受かっている試験に落ちたら「なんで落ちたの」と全員から言われるに決まっている。言われなくても絶対みんな思うはずだ。ならばやるしか道は無い。そう思ってとにかく勉強した。直前に他県に行く予定が入り気が気じゃなかったが、とりあえず参考書持参で移動中も勉強した。
またその頃たまたま初めて漢方内科を受診したところ柴胡加竜骨牡蠣湯が処方され、それを飲み始めたら何故か集中力が爆上がりして全く進んでいなかった問題集が3日で1冊終わった(これを私は合法ドーピングと言っているが、別に集中力を上げるために処方してもらったわけではないのでたまたま私の状態と漢方が合っていただけと思われる)。
結果、損をしたくない気持ちと落ちた言い訳をしたくない気持ちと漢方による謎の追い風のおかげで無事合格した。
長くなったが、担当を持つのも学会も市民講座も登販合格も、他にも色々、自分に出来るのかなと思うようなことが数々あったが、とにかく全て「自分で動くしかない」と思って取り組んだ年だった。何を当たり前な…と思われるかもしれないが、自分の人生、自分の仕事、「動かすのは自分だ」ということを何度も思った。という理由で「動」。
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鍼灸師になって2年目、職場も同じところで2年目ということで全体像が少し見えたことも2025年自由に動けた理由じゃないかなと思う。
2026年はまた東京に戻って全く新しい環境でイチからスタートになる。地方生活は残り2ヶ月半。
2025年の「動」の力も引き継ぎながら、2026年を切り拓いていきたい。