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日常の些事。

本が本棚に入りきらないことについての長い言い訳

本が本棚に収まりきらなくなって久しい。私の部屋の本棚は、そんなに小さ過ぎるものではないと思う。試しに測ってみたら、縦100cm横90cmで奥行き26cm。とまぁ、サイズだけ聞いてもピンと来ないかもしれないけど、カラーボックス3つ分くらいの容量はあると思う。

 

かつて私は殆ど物を持たないと決めて生活していた。ミニマリストに憧れてとにかく物を捨てまくり、6畳のワンルームにはカラーボックス一つと三つ折りのマットレスと引越し祝いに叔母が買ってくれたゴミ箱一つしかなかった。内覧について来てくれた友達が数ヶ月後に遊びにきた時、「内覧の時と景色が変わってない!」と言ったほど何も置かれていなかった。本は変わらず好きだったけれど、全てをKindleに集約し、本当に大切にしている文庫本数冊だけ残して、カラーボックスに入りきらない量のものは買わないと決めていた。

 

なのになぜ、本が本棚に収まらないような事態になってしまったのか。理由ははっきりしていて、会社員を辞めて鍼灸の専門学校に通い始めたことがきっかけだった。

 

学校に入学する数ヶ月前、少しでも勉強しておこうとツボの本、東洋医学の本、解剖学の本をそれぞれ1冊ずつ買った。そして入学したら、分厚い教科書が山のように部屋にやってきた。毎回の授業で配られるプリントの量も多く、部屋にはどんどん紙が増えていった。

 

コロナによるオンライン授業の影響などから学校も資料のデジタル化に積極的だったため、配布資料はデジタルでも配信され科目によってはiPadだけで勉強できる物も多かった。私ももちろんiPadを持っていた。しかし画面で見た文字はなぜか全く記憶に残らず、iPadはちょっと参照するには便利だけれど腰を据えて勉強するにはやはり紙でなければ頭に入らないということに気づき、紙の教科書もプリントも捨てられず残り、ノートも手書きでないと覚えられなくて紙のノートも増えていった。同級生とその話をしていた時「デジタルで見た文字って、写真と同じで画像なんだって。だから文字を読んでるつもりでも画像を全部覚えるみたいになっちゃうらしいよ。だから覚えるのが大変なんだって」というようなことを聞いて、真偽は定かではないけれど、なるほどなぁと納得した。私は文字を理解したり覚えたりするのは得意だけど絵心がなくて模写もできないし、とにかく図や絵、空間などを認識することが苦手だ。だからiPadで勉強しても何にも覚えられないんだと合点がいった。

 

そんなわけであっという間にカラーボックスでは収まらない量の本や書類が増えていって、専門学校に入学した年の夏、私は初めて本棚を買った。それが冒頭に書いた本棚だ。

 

これで本が綺麗にしまえる、と安心した。

 

でも、この本棚を買ったのがいけなかった。

 

最初は教科書や元々持っていた本をしまってもまだスペースが残っていて雑貨や化粧品なども棚に並べていた。しかし「スペースが残っている状態」に私は油断した。スペースがあるから、ここに入る分は本を買ってもいいんだと思ってしまった。

 

鍼灸師以外の人にはあまり知られていないかも知れないが、鍼灸を勉強するには東洋医学だけでなく西洋医学も勉強しなければならない。学校の教科書は最低限しか書かれていないので、詳しい解説を求めて私は次々と本を買った。一冊読み通すことはないけれど、勉強中に気になったことを家で調べられるのはすごく便利だと思った。ちょっとしたことはネットを見れば載っているのかもしれないけれど、ネットに書かれている医療のことが嘘か本当か判断する自信がなかったから専門書の方がいいと思ったし、通っていた学校は図書室の本を貸し出していなかったから、夜家で勉強する時に手元に本を置いておくために自分でどんどん買った。医療や鍼灸がテーマの小説や漫画、面白そうな一般書も読みたいと思ったら我慢できずにどんどん買った。

 

本棚はあっという間に溢れて、困った私は専門書以外の本を学校に持って行き、自由に読んでいいからと教室に置いた。そして卒業する時、無くなってもいい、寄付する、と言って全部学校に置いてきた。メルカリで売るのも面倒くさくて、かといって古本屋で売っても二束三文だと思い、せっかくなら勉強にもなるし学生に楽しく読んでもらいたいという思いもあった。『19番目のカルテ』とか『天久鷹央シリーズ』とか、今メディア化されてる作品も多かったし悪くはなかったと思うけど、今どうなっているかはわからない(本当はラウンジに置いて欲しかったけど、卒後学校に行った時見かけなかったからどこに行ったのか本当に知らない)。

 

とにかくこうして本棚にはまたスペースができた。私はホッとした。

 

ところが今度は仕事先で使う本が増え始めた。私が働いている所はある流派の鍼灸治療をベースにしており、今度はその勉強のための本が必要になった。さらに漢方についても勉強が必要になり漢方に関する本も増えていった。関連図書も話を聞いたらどんどん買っていった。休みの日に大阪の古書店や神保町に遊びに行ったら教わっている流派の古い本をたくさん見つけて、中には絶版の本やネット上で定価の何倍にもなっている本が破格の値段で置いてあったりして、私はそれらも躊躇わずにどんどん買っていった。

 

読んで分からないことを聞けるのは今しかないという気持ちもあって、買える本はできるだけ今のうちに買って目を通して気になることは聞いておこうという思いが私に本を買わせた。就職するまで読んだことがなかった本や、意味がちんぷんかんぷんだった本も、理解できてるかはさておきひとまず読めるようになって、それが嬉しくて買ってしまう部分もある。既に絶版の本も多くて、次いつ見つけられるのか、見つけたとして自分が買える価格なのかも分からないという不安も「今買わなければ」という気持ちを煽った。

 

こんなことをしている内に、一度余裕ができた本棚は再び本で溢れ返った。

 

職場で参照するからと言い訳をして、職場の棚に本をしまうようになった。それすらもう自分が与えられたスペースから溢れつつある。勉強している流派の、いわゆる必読書は、どれも600ページずつくらいある分厚いものが多い。

 

さらに職場での調べ物で事典が欲しいと言っていたら、お世話になっている鍼灸の先生が「もう使わないから」と言ってなんと一式譲ってくれた。それは巨大な漢字辞典で、全部で13巻ある。もちろん職場に持っていった(同僚たちも使えるから)。

 

知り合いが一人もいない地方暮らしの寂しさを紛らわせるために、仕事と関係ない本も次々と買った。夜、なんとなく一人でいるのが嫌な時、つまらない時、眠れない時、いや、そんな暗い気分じゃない時も、本棚からその時の気分で本を手に取って、好きなページを好きなように読むとなんだかすごく自由で満たされた気持ちになる。どれも好きで買った本だからどの本も自分にとって素晴らしい。

 

一度溢れてタガが外れてしまうともうどうでもいいような気もして、私は次々と本を買い、そしてもうどう足掻いても100×90×26の本棚には収まりきらない本が部屋の中に積まれた。ちなみにここまで書いてこなかったけれど、ベッド下に収納ボックスがあってその中にも本や学生時代のノートが入っている。

 

もうすぐ地方生活も終わりとなって、私は再び東京に戻る。東京の家賃は目玉が飛び出そうなほど高くて、今住んでいる地方と同じ広さの家にはもう住めない。しかし本は東京を出た時とは比べ物にならないほど増えた。だけど全部、持っていきたい。持ったままでいたい。

 

本を全部持っていく代わりに服を減らそうと決めて、元々そんなに持っていなかった服をさらに減らそうと、今頑張っている。