先日、医師が主催するある専門分野の勉強会に参加した。
その中で「薬の副作用をコントロールするためには食事・睡眠・排便が整っていることが、治療を受ける土台として大切」という話があった。
食事・睡眠・排便は、自分が今勉強しに行っている治療院の問診の際に必ず確認する事項で、全ての患者の治療で重視しているポイントである。治療院ではこれらを整えるためにお灸でのケアを推奨している。
医の東西を問わず、大病を患った人も、現状病気ではない人も、食事・睡眠・排泄は生きる上で大切なんだなと思い、改めて自分が学んでいる手法の意義を再認識した。
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鍼灸には色々な手法がある。鍼・灸、とあるように鍼を刺す方法もあればお灸をする方法もある。鍼は長い物、短い物、太い物、細い物、形状も様々で、どのように人体を刺激するかも様々だ。お灸も、火傷を作る物、作らない物、熱い物、温かい物、艾という草をそのまま使う物、加工された物、などなど。それこそ本が何冊もできるくらい様々な種類と手法がある。
対象者も色々で、赤ちゃんから若者、高齢者まで色々な人がいる。筋骨隆々のスポーツマンもいれば、病気で痩せてしまった人もいるし、デスクワークで肩がガチガチの人や、運動不足で太っている人もいるし、お腹の調子が悪い人、足が攣りやすい人、頭が痛い人、とにかく色んな人が鍼灸の治療対象になる。
多くの鍼灸師は、それぞれの人の体質や体調などを見た上で、どのくらいの刺激をするか考えて、その人その人に合った量の刺激をする(と思う)。
大ベテランでなんでもござれな鍼灸師はともかく、免許を取って1年目の私はまだ色々な人を全部見られる自信も技術もない。できるのはこの1年で習ったことだけだ(見習いの立場で「できる」と言っていいのか若干憚られるが…言葉のアヤです…ご了承ください…)。
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ではそれは何なのかというと、今勉強に行っている治療院で見ている人というのはほとんどが「弱ったところがある人」である。東洋医学的な用語で言うと「虚証」の人が多い。
その人たちの話を聞いて、身体を触って、弱っているところを見つけてそこにお灸をする。それも一気にたくさん強く刺激するのではなく、毎回少しずつ刺激する。一気にたくさんお灸を据えたらその場で全てが治るかというと基本的にはそんなことはないので、毎日お灸をしてほしいと考えるが、毎日治療院に来てもらうことは無理なので、やり方を伝えて家で自分でお灸をしてもらう。
これが1年間やってきていることの全てである。
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私は元々あんま師として働きたくて専門学校に入って、ついでと思って鍼灸の免許を取ることにしたのが最初だった。「在宅福祉の分野に携わりたい」という考えが先にあって、そのための手段として訪問マッサージをやろうと思い、あんま師の資格を取ることにしたのだった。
たまたま専門学校2年目の時の中医学の先生の授業が面白かったから鍼に興味を持って、東洋医学も面白いなぁと思い始めたのが東洋医学の入り口で、そこから卒後は鍼もできる人になりたいなぁとようやく思い始めた。
ところがその先生が「初心者はまず灸ができるようになった方がいい」(※注:だいぶ端折ってるのでこれだけ言ってたわけではない)と言うので、じゃあ卒後1年目はお灸を…と思ってやってきたのが今の場所なのだった。
優先順位的に、あんま>鍼>灸のまま卒業したから、去年の上半期は自分が何をやっているのか全く分からなかった。鍼灸院なのに鍼はほとんど刺さないし、治療目標などもよく分からなかった。もちろんあんま師の免許は不要なので職場に提出もしていない。周りの同級生たちが鍼を刺したり手技をしたりどんどん患者を増やしている中で、自分はずっと見習いのままだし一体何をしているのだろう…と不安ばかりだった。
でも1年近く過ごしてみて、何となく、自分が今見ているターゲットがどんな層で、何を目標に、どんなことをしようとしているのか、大枠のようなものは分かってきたように思う。意義のようなものもようやく見出せてきたように思う。
特に、弱っている人の弱っている所を補うような治療は、私が元々やりたいと思っていた在宅福祉の分野では必要なことだと気付いたし、そのような人の身体を鍼灸師の目で見るとき、どんなことに着目したら良いのか、そういう学びは大事だと感じるようになったことが、最近のモチベーションに繋がっている。
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最近読んでいる本に「(学ぶということは)最初は自分が何を学んでいるかを知らず、何の価値や意味や有用性があるかも言えないところからはじまる」と書かれていて、そうだよなぁと思うし、それならばあまり焦っても仕方ないかなと思う。
気付けば3月。1年を振り返ったところで、気持ち新たに、あまり焦らず、目の前のことに集中して、2年目を迎えようと思う。