気まぐれに読書記録をば。
上下巻合わせて1,000ページ近くで、久しぶりに読み応えがある読書をした。
読んだきっかけは、8月に某所にて義経縁の展示を観たことだった。別の観光に行ったついでに、せっかく近くまで来たのだし国宝と言われるそれを見てみようという軽い気持ちで見学に行った。漫画やアニメの影響で、キングダムと三国志という局所的中国史が好きなだけな私は、日本史は弱く、当然義経のことも殆ど知らない。しかし、当人が実際に使っていた品だ、国宝だ、と言われるとそんな無知にも関わらず見入ってしまう凄みがあり、帰る頃にはなんだか義経をもっと知りたいという気持ちになり、その足で図書館に行って、しかし蔵書されていなかったため取り寄せまで頼んで借りて読んだのだった。
司馬遼太郎の本って本当に人を惹き込むなぁ…と思いながら楽しく読んだ。
義経が主人公として描かれているけれど、兄の頼朝も魅力的で、それゆえに最後までお互いに分かり合えないまま終わってしまうのがなんとも切なかった。
義経と頼朝の、お互いの行動原理、行動の軸にするものへの想像力の欠如が終始もどかしかった。情動的で、肉親との繋がりを愛おしく思い、親しい人に喜んでもらいたいという一心だけで動いてしまう義経と、自分の置かれた立場、役割、鎌倉という組織全体のバランスを最も重んじて自分の想いや欲を抑えて行動する頼朝は、軸に据えるものが正反対で、最後までお互いが何を信念にして生きているのか分かり合えなかった。
頼朝は義経を誤解していたと思うし、義経は自分の想いを一方的に押し付けるばかりで頼朝のことを分かろうと努力しなかった。戦の天才と政治の天才の兄弟だったから、お互いが相手の行動原理となっている信念を想像力を持って理解しようと歩み寄っていたら、鎌倉幕府以後の日本の歴史も違ったものになっていたかもしれないなぁ、なんて壮大なことを考えた。
「想像力は大きな力になる」というのは鍼灸の勉強先の先生の言葉で、鍼灸は戦でも政治でもないけれど、なんとなく全部が繋がるような気がして、想像力が足りない私は、小説で義経の最期を見届けて、想像力の欠如が招いた結末を想い、想像する力を養わなければいけないと思った。
