某手記に触れて、
私は結局どこまでもナラティブ寄りなんだなーと思った。
多分、経験の違いがあっても書いてる人と同じ気持ちだから。
共感が強過ぎて相手の訴えとの境界線が無くなるんだろうなと思う。
でもそういう人を救える人って同じ気持ちの人じゃないんだよね。
強過ぎる共感“だけ”では人は救えなくて、一線引いて冷静に客観的で論理的な提案をしてくれる人が結局その人を救えるんだよね。
自分と同じような人を見られないし見ようと思わない理由。だって結局絶対良くできなくてその人のためにならない。
現状、しかしそういう人に出会うケースが多くて、でも私は基本見てるだけだから、出来るだけ客観的に、その人と自分は別、その人の経験と感じているものは私のものとは別と切り離して考える訓練を密かにしてる。
相手の訴えに対して「つらそう」とか共鳴するような解釈をしないようにしてる。「こうで、こうで、こうだから、そういう場合このようにつらいだろう」とか、なんというか、うまく言えないけど、「共鳴」ではなく「推論」しようとしてる、と言えばいいのかどうか。そんな感じ。
でも当事者として共感や共鳴が必要な時があるとも思う。
でもその人にそれをするのは私の役目じゃない。
ということを常々意識するようにしてる。介護の時から。