Blog 1/445

日常の記録。

個人の見解

希死念慮っていうのは、一度持ってしまったら、一生付き合っていくものなのかな。

 

他の人がどうなのかはわからないから、個人の見解。

 

生きたい人、やりたいことをやりたいように出来ない人、からしたら、不謹慎な発言に聞こえるんだろうなぁ、と、思いつつ、でも自分がそういう感覚を持ってるのは、事実だし、それをここで言ったって、別にいいじゃん、と思う。

 

別に死にたいわけではないし、明日も生きるつもりで、色々な予定を組んでるし、周りだって私が明日も生きていると思ってるだろうし、よほどの外力でも加わらない限り多分99%そうなる。

 

でも、時々、トイレに行く、喉が渇いたから水を飲む、眠いから寝る、みたいな感覚で、日常生活で行う行動の選択肢の中に「死」が当たり前のように入っていることがある。喉が渇いた時に、水を飲むかお茶を飲むかコーヒーを飲むか、みたいな選択肢の中に当たり前に入っていて、たまたま今は水を選んだだけ、あるいはコーヒーを選んだだけ、みたいなことが続いて、たまたま今日も生きているだけ、という感じがする。

 

選択肢の中に、いつもあるわけではなくて、時々、何の理由もなく、ふっと入ってくる。コーヒーや水と同列のように。

 

同列なので、うっかり選んでしまうことがある。

 

みんなこんな感覚なんだろうか。

 

希死念慮がある者同士、希死念慮について話したことはないから(それは、私的には、なんだかすごく危ない気がして話せない)、みんな同じような感覚なのかはわからない。

 

なんか色々、しょうがないと思う。

 

細胞から生まれ直して希死念慮とか抱かないような人生を歩んでみたい。