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日常の記録。

筋肉が見えないあなたと、経絡が見えない私

学問的な話ではないです。

 

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先日、道場の練習の合間に「最近あん摩の試験対策で、毎日揉んでばっかりで〜」という話を練習仲間にしたところ「じゃあ私が揉んであげる!」と言ってくれて、伏臥位で背部を揉んでくれた。

 

とっても嬉しかったんだけど、「えー!そこを!?なぜ???」と思うような揉み方で、まぁ言葉を選ばずストレートに言うと、無秩序なのであった。

 

相手は専門家でもなんでもないので当然だし、私も別に嫌ではないし、仲間内での日常の交流の中の一場面であって、それ以上でもそれ以下でもなく、だからこれは愚痴や不満ではない。

 

ただ、それを受けてみて、なるほどなあ、と思ったという話。

 

私たちあん摩マッサージ指圧科の学生は、揉む時に筋肉を意識し、経穴を意識して揉むラインを取る。圧の強さなどで個々の課題はあるにせよ、全員が筋肉や経穴を目指して揉むのでラインがズレることはあまりない。というか、うちのクラスはみんな上手くてライン取りなんてみんなばっちりだし、日々そんなクラスメイトの練習台になっていたから、いつの間にか「筋を捉えて揉んでもらえるのが当たり前」みたいな感覚になっていた。

 

それは私たちのように筋肉やら何やらを専門的に学んでいるから当たり前なのであって、そうでない人にとっては当たり前ではない。私だって学校入るまで背中や脚に何の筋肉がどんな風に付いてるかなんて1つも知らなかった。それが学校や業界の外の世界である。

 

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話は変わって、中医鍼灸の実技の話。

 

自慢じゃないけど私の鍼は下手っくそで、よく言えば伸び代いっぱい状態だ。果てしなく続く地平線のごとく、伸び代が広がっている。

 

そんな私の鍼を見て先生が言った言葉

 

「鍼が死んでる」

 

「全然だめ、そもそも経絡に乗ってない」

 

など。

 

先生に差し直ししてもらうと鍼は生き返り、

抜鍼して全然違う位置に打たれると鍼は経絡に乗るのだった。

 

鍼が生きたの死んだのというのは、実際目の前で自分も見て、そして打たれたペアの人の反応も見て分かる気がするので、習う側として全く異論はないし先生の鍼と自分の鍼が全然違うのは触ってみても分かる気がするんだけど、それはそれとして。(ちなみに本当に分かっているか、それもまた微妙で、でも、先生が違うといえば違うのだと強く思う。なぜなら経験値が圧倒的に違うから。)

 

道場の練習仲間から無秩序な揉みをしてもらった時に思った。

 

私の鍼って先生から見たら、この無秩序な揉みのように見えるんだろうな、と。

 

筋肉を知らない、位置も走行も作用も分かっていないで行われる揉み。

 

経絡を知らない、位置も走行も作用も分かっていないで打たれる鍼。

 

筋肉と経絡がそのまま置き換わるな、、、と思った。

 

自分自身そこは思い当たる点が多くて、私が鍼を上達させるには、もちろん人に刺す練習量を増やすこともそうなんだけど、経絡の流れ、位置、作用、その上に乗っている経穴、をもっと正確に知識として持つ必要があるなと思った。そこをクリアしたらこの広大な伸び代を、少しは駆けていける気がする。