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日常の記録。

あーあ

今日は学校を休んじゃったけど、

明日は行かないとなぁと思う。

 

試験前だし。給付金の制限もあるし。

 

絶対誰かから「大丈夫?」って聞かれそうだけど、「大丈夫?」って聞かれたくないなぁ…。

 

本調子ではないから、大丈夫ではないのに、大丈夫かと聞かれたら、大丈夫としか返せないじゃないか、と思う。

 

大丈夫以外の返事を受け止められないなら、容易く大丈夫かどうかなんて聞かないでもらったほうが余程良い。

 

性格悪いかな。

 

こうだから、本当に助けてほしい時にも、助けてとは言えないなぁと思う。

 

それは相手の受け止められる範疇を超えてるだろうし、言われた相手が困ることが想像できるから。

 

自分のことは、自分でどうにかするしかない。

 

時々、こういう不安定さを抱えた自分が鍼灸師なんてなっていいのかなぁ、と思う。

 

どうなんだろうねぇ。

よくわからないこと

安心できる、させる

大事にする、される

 

ってなんだろう、と思う。

 

表面上、できてるのかもしれない。

でも、感覚として根付いていないから、心底できている、と思えたことはない気がする。

表面上できていると思うのは、経験の蓄積でA→Bみたいな、そういうパターン化された行動な気がする。元々そんな機能は無かったけど後付けでくっつけたような。

 

よく言う、自分を大事に、というのもよくわからない。

 

大事にするって何?

 

一生分からない気がする。

 

***

 

日曜日に湧いてきた希死念慮が強くなって、今日は学校に行けなかった。

絶対に出たかった授業と研究会があったのに動けなかった。

 

なんとなく、外に出たらいけない気がした。

 

何年か前にもこういうことはあったから、別に不思議には思わないけど、なんで今なんだ、とは思う。

 

うつは心の病気、とは言うけれど、脳から出る神経伝達物質やホルモンのバランスのせいだとも聞く。

 

一体自分の頭の中は、何がどういうバランスになってしまっているのかな、と思う。

 

どうにかしたい。

 

頑張り過ぎ?

なんか色々思ってたことをポツポツと、治療院の先生に話してみた。

 

頑張り過ぎ。

 

と言われた。

 

でも、私は頑張ってるんだろうか…

 

頑張ってるから疲れているというよりは、

必要以上に、色々な物事を重く受け止め過ぎてるから疲れているような気がする。

 

頑張れてはいないのに、頑張り過ぎと言われると、本当は頑張れてないのが、なんだか申し訳なくなる。

個人の見解

希死念慮っていうのは、一度持ってしまったら、一生付き合っていくものなのかな。

 

他の人がどうなのかはわからないから、個人の見解。

 

生きたい人、やりたいことをやりたいように出来ない人、からしたら、不謹慎な発言に聞こえるんだろうなぁ、と、思いつつ、でも自分がそういう感覚を持ってるのは、事実だし、それをここで言ったって、別にいいじゃん、と思う。

 

別に死にたいわけではないし、明日も生きるつもりで、色々な予定を組んでるし、周りだって私が明日も生きていると思ってるだろうし、よほどの外力でも加わらない限り多分99%そうなる。

 

でも、時々、トイレに行く、喉が渇いたから水を飲む、眠いから寝る、みたいな感覚で、日常生活で行う行動の選択肢の中に「死」が当たり前のように入っていることがある。喉が渇いた時に、水を飲むかお茶を飲むかコーヒーを飲むか、みたいな選択肢の中に当たり前に入っていて、たまたま今は水を選んだだけ、あるいはコーヒーを選んだだけ、みたいなことが続いて、たまたま今日も生きているだけ、という感じがする。

 

選択肢の中に、いつもあるわけではなくて、時々、何の理由もなく、ふっと入ってくる。コーヒーや水と同列のように。

 

同列なので、うっかり選んでしまうことがある。

 

みんなこんな感覚なんだろうか。

 

希死念慮がある者同士、希死念慮について話したことはないから(それは、私的には、なんだかすごく危ない気がして話せない)、みんな同じような感覚なのかはわからない。

 

なんか色々、しょうがないと思う。

 

細胞から生まれ直して希死念慮とか抱かないような人生を歩んでみたい。

呪いの言葉でなく

今日も臨床実習!

 

今日は任されてる役職も多いから緊張の1日だ(役職はローテーションで全員に回ってくる)。

 

心掛けること。

 

  • 感情的にならない
  • 落ち着く
  • 周りを見て判断する
  • 声掛け
  • 相談
  • 施術前後を確認する
  • 入室時間を確認する
  • 筋の繋がりを意識する
  • 筋の縁取りを意識する

 

***

日々不安いっぱいだけど、今年になってから頻繁に呟くようになった言葉があって、それは、

 

「なんとかなる」。

 

治療院の先生に色々相談した時に、いつも一番にアドバイスしてくれるのが、3つのアルファベットで「A・N・A」

 

「ありがとう」

「なんとかなるさ」

「ありのまま」

 

この3つだけ意識すればいいよ〜、と。

 

もう何度も聴いたから、先生の声から口調から、脳にインプラントされて無限再生できる(笑)

 

不安な時、どうしよう、と思った時、思い出す。言ってみる。一番思い出すのは「なんとかなる」。口にしてみると、本当になんとかなる気がして焦る気持ちや不安な気持ちが少し落ち着く。そしてスッと気持ちが引いて冷静になれる。

 

魔法の言葉。

 

***

言葉自体はシンプルだし、月並と言ったら月並なフレーズかもしれない。でも、私の話をしっかり聴いて、その場で私だけのためにかけてくれた言葉、教えてくれた言葉だから、胸に残るし支えになっていると思う。

 

***

子どもの頃から、ネガティブな言葉をたくさん聞いて育った。

 

言われた数々の言葉は呪いになって、不安な時、焦ってしまう時、つらい時にこれらの言葉が思い起こされて、私をますます不安にさせて苦しめた。

 

そこから脱却しようともがくような人生だった。

ようやく出口のようなものを見つけるまで26年もかかった。

 

まだ時々、只中にいる、引き戻される、と感じることがある。

 

***

呪いになって人に残る言葉でなく、

人の支えになる言葉を、かけられる人になりたい。

 

刺鍼練習

最近自分で考えた鍼の練習方法

 

スポンジの層にカットしたトレース紙を適当に挟んで、1.5インチ4番の中国鍼で刺す練習。

 

刺したら、何層刺したか、トレース紙は何枚貫いたか確認する。

 

1枚目は鍼先ですぐ分かる。

 

ツンツンすると膜がある感じ。

 

2枚目も、浅い層のなら分かる。

 

3層目以降は、分かる時と分からない時がある。

 

2枚なのか3枚なのか、一番深い層で1枚だけなのかなどなど…深い層は外しがち…。

 

貫いたと思ったら何もないところに刺してたり、貫いてないと思ったらガッツリ刺さってたり…

 

スポンジでもこんな調子なのに、人体で分かるのか〜

 

と、思いつつ…

 

昨日、今日、筋パルスの練習したら、筋膜に鍼先が触れる感じが、前よりちょっとだけ分かった。

 

筋膜がある、でそのあとそれを貫いていいのかどうか迷うことができた。

 

無意識に刺さなかった!

 

筋パルスは昨日も今日もちゃんと成功した。

 

大腿二頭筋長頭、半腱様筋、板状筋。

 

まだ課題全部復習練習できてないけど、苦手な板状筋を1発でキメられたのはうれしかった。

 

この練習も無駄じゃないのかな。

 

もっと筋の形や厚さ、筋膜のことを意識して触れるようになりたい。

 

対人で刺さなくても、1人での練習でも、感覚を磨く方法はきっとあるよね。。

 

頑張ろう。

新年初登校

2023年1月4日、授業始めでした。

冬休み1週間しかなくて、先生方大変だなぁ。学生も、年明け早々に実技試験にあん摩の実習に、期末試験にと気が休まらないけど。

 

今日は珍しく座学オンリー。

3限終わったら実習室でパルスの実技試験練習。

終わったら図書室で試験勉強(病理学・免疫と炎症反応)。

 

1週間振りにしてはよくやった!

 

本当は教室でみんなと勉強したいなって思ったけど、みんなといると楽しくてついおしゃべりしちゃうから、心に鞭打って図書室です。

 

今年はちゃんとメリハリつけるんだ…!

 

ということで(?)今日はもう帰ります。

 

明日からまた実習祭、そして試験だ〜!